行動経済学

プロスペクト理論と動的参照点 損失から撤退へ転じる心理

損失が膨らむ間は耐え続けたのに、少し状況が戻ったところで、急に売却や撤退を決めたくなることがあります。その変化を理解する鍵は、何を取り戻したいのか、何を守りたいのかという参照点の移り変わりです。

TABLE OF CONTENTS
目次

損失局面で起こる意思決定のパラドックス

プロスペクト理論は、ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが1979年に提示した意思決定理論です。人は結果を最終的な富の絶対量だけでなく、参照点から見た利得や損失として評価し、選択を変えることが示されました。

代表的な特徴に、利得局面ではリスク回避、損失局面ではリスク愛好へ傾きやすい反射効果があります。ただし、主に中程度から高い確率の選択で見られる傾向であり、低確率の選択では反対の態度も現れる点に注意が必要です。

利益が出ている場面では、手にしたものを失う不安が、確実な利益を守りたい気持ちにつながるという可能性があります。反対に、損失を抱えると「ここでやめれば負けが確定する」と感じ、挽回できる選択肢へ引き寄せられるという可能性があります。ところが、損失局面のリスク愛好だけで、長く粘った末に突然やめる行動を説明するのは難しいのではないでしょうか。本稿では、プロスペクト理論を静止した一場面に限らず、時間と損失の累積によって変化する意思決定として捉え直します。

株価が長く下落している間、買値まで戻るかもしれないと耐え続ける投資家を考えてみましょう。それなのに、底値から少し反発すると「もう十分だ」と感じ、購入価格を下回ったまま売ってしまうことがあります。企業でも、何年も追加投資した赤字事業の損失が縮小した段階での撤退が、同じ視点から考えたい場面です。ここまで耐えた努力を手放す迷いが残る一方で、今なら会社を守れるという別の判断が前面に出るという可能性があります。

さらに、劣勢でも戦い続けた国家が、領土や戦力をいっそう失った段階で講和へ動く場面も、考察の対象です。損失局面のリスク愛好をそのまま当てはめれば、買値や当初目標を大きく下回る主体は、さらに挽回を狙うはずだと思えるでしょう。それでも、ある地点で撤退へ転じることがあるため、損失の大きさ以外にも目を向ける必要があります。

この転換を理解する鍵が、参照点そのものの変化です。本稿では、参照点が従来の目標から生存に関わる下限へ大きく移ることを、説明上の分析概念として参照点のジャンプと呼びます。確立した一つの効果名ではなく、参照点適応や複数参照点の研究を手がかりに、現実の変化を考えるための枠組みです。人は同じ損失を見続けているようで、途中からまったく別の場所を基準に眺め始めることがあります。

ここを押さえると、なぜ耐え続けた人が突然やめるのかという疑問が、少しずつ解けてきます。

プロスペクト理論の数理的基礎

価値関数と参照点

プロスペクト理論が扱う心理的価値の基準は、客観的な結果そのものに限らず、参照点からの変化です。現在の結果や資産水準を \(W\)、参照点を \(R\) とすると、評価対象となる利得または損失は次のように表せます。

\[ x=W-R \]

累積プロスペクト理論で広く用いられる価値関数の一例は、次の形です。

\[ v(x)= \begin{cases} x^\alpha & (x\geq0)\\ -\lambda(-x)^\beta & (x<0) \end{cases} \]

1992年のトベルスキーとカーネマンの研究では、個人ごとの推定値の中央値として、\(\alpha=0.88\)、\(\beta=0.88\)、\(\lambda=2.25\) が報告されています。これらは当該研究で得られた値であり、あらゆる人や状況に共通する普遍定数ではありません。

ここで \(\alpha\) と \(\beta\) は、利得側と損失側における感応度の逓減を表します。利得領域の価値関数は凹型で、金額が増えるほど追加的な満足の増え方が小さくなる形です。ほかの条件をそろえた単純化モデルでは、大きな利益を狙う賭けより、確実に得られる利益を選びやすいと予測されています。

一方、損失領域では価値関数が凸型となります。すでに損をした状態から、さらに同額を失う価値低下は、参照点の近くで最初の損失を受けたときより小さくなる形です。この感応度の逓減は、危険を取ってでも戻したい気持ちを考える手がかりになりますが、実際の選択には確率の重み付けも関係します。

参照点からの変化 損失領域 利得領域 参照点 x=W-R
プロスペクト理論が扱う心理的価値の基準は、客観的な結果そのものに限らず、参照点からの変化です。

損失回避が損切りを難しくする理由

もう一つの重要な特徴が損失回避であり、\(\lambda>1\) は同じ大きさの利得より損失を重く評価する非対称性を表します。低い確率で大きな利益を得る場合のリスク愛好や、低い確率で損失を被る場合のリスク回避も、累積プロスペクト理論が説明する特徴です。価値関数の形だけで、すべての場面の売却や継続を決められるわけではありません。

10万円を得た喜びと、10万円を失った苦痛が同じ重さにならないことを考えると、損失確定のためらいも理解しやすくなるでしょう。本人にとって売却や撤退は、金額を記録するだけでなく、それまでの期待を手放す行為として感じられるという可能性があります。売れば含み損は実現損となり、事業から撤退すれば、当初思い描いた成功が実現しなかったことを受け止める場面が生まれます。ただし、売却時に含み損と同額を新たに失うわけではないため、現在価値の低下と、損失を認める心理的な痛みは別の問題です。

人によっては「もう少し待てば戻るかもしれない」という希望を残しておくほうが、現時点では心を守りやすいでしょう。こうした気持ちが判断に入り込むと、将来の見込みが乏しい選択でも、逆転の可能性が残っているという理由で魅力を持つという可能性があります。損失確定を避けたい気持ちと、これからの選択に価値があるかどうかは、別々に確かめる必要があります。

損失局面のリスク愛好を理解するには、危険を好むことだけでなく、損失確定の痛みから逃れたい気持ちも考える必要があるのではないでしょうか。

静的な参照点では説明しにくい行動

固定参照点を置いた場合の予測

ここで注意したいのは、プロスペクト理論そのものが「参照点は永久に固定される」と規定しているわけではないことです。ただし、分析を単純化するため、ある期間では参照点 \(R\) を取得価格や初期状態に固定するモデルを考えることがあります。株式の購入価格を \(P_0\) とし、現在価格が大幅に下落しているなら、

\[ W\ll P_0 \]

このとき取得価格からの差は、次のようにマイナスになります。

\[ x=W-P_0<0 \]

この関係では、取得価格を比較基準に固定する限り、投資家の位置は損失領域です。確率の扱いや選択肢の条件をそろえた静的な単純化モデルでは、損失領域でリスク愛好的な選択が現れやすいと予測されています。損失が深い部分では感応度も逓減しますが、それだけで追加リスクの大きさや売却時点を一律に予測できるわけではありません。

そう考えると、買値を大幅に下回った株が底値から少し反発しただけで、突然リスク回避的に売却する理由は十分に説明できません。買値が参照点なら、少し戻ったところで依然として大幅なマイナスだからです。

現実では基準そのものが変わる

しかし、人は何年も前の基準だけを見ながら生活しているわけではありません。収入が増えれば、それまでぜいたくだった生活が日常になります。反対に、大きな損失を経験すれば、元に戻る期待より、これ以上失わないことが急に重要になる場合もあるでしょう。

つまり、参照点は時間や経験から影響を受けます。アーケスらの証券取引を題材にした研究では、同程度の利得と損失を比べると、利得後のほうが参照点への適応が大きい結果が報告されています。損失後には以前の基準が残りやすいことを示唆しますが、特定の危機で参照点がいつ切り替わるかを直接示す結果ではありません。

損をした直後に「今日からこの低い水準を新しい基準にしよう」と簡単に切り替えられないのは、心理的には不思議ではありません。

「本当はここまで持っていたのに」という記憶が残るためです。それでも損失がさらに深まり、生活や企業の存続まで危うくなれば、以前の基準にこだわる余裕そのものが失われていきます。そこで、参照点の問題は新しい段階へ入ります。

動的参照点と生存水準

熱望水準と生存水準

ジェームズ・マーチとズール・シャピラの可変リスク選好の研究は、熱望水準と生存水準への注意の移り変わりを扱うものです。一つの基準を固定するのではなく、現在の資源と注目している基準の関係から、リスク選好の変化を考えるモデルです。

その考え方を理解するため、二つの基準を置いてみましょう。一つ目の熱望水準 \(A\) は、達成したい状態や、少なくとも戻りたいと感じる目標です。投資なら購入価格や目標利益、企業なら事業計画上の黒字目標、国家なら開戦前の領土や達成したい政治目標などが対応します。もう一つの生存水準 \(S\) は、生活や組織の存続を維持するうえで、下回ることを避けたい下限を表します。

個人の生活や返済が成り立たなくなる水準、企業の資金繰りが破綻する地点、国家の統治能力や体制を維持できなくなる限界などが、その具体例です。現在の資源を \(W\) とし、まだ生存の下限を上回っているものの目標には届かない場面を考えると、次の関係になります。

\[ S<W<A \]

同じ現在値でも、熱望水準 \(A\) に届いていなければ、目標からの評価は次のようなマイナスです。

\[ W-A<0 \]

一方、生存水準 \(S\) を比較基準にすれば、下限を上回る部分は、次のように守る余地のある残存資源として表されます。

\[ W-S>0 \]

この関係でいう利得は購入時からの利益や会計上の黒字ではなく、比較基準を上回っているという評価上の位置を指します。同じ \(W\) が、どこを基準にするかによって損失にも利得にも見えるのです。

S<W<A 熱望水準 A 現在の資源 W 生存水準 S W-A<0 W-S>0
同じ \(W\) が、どこを基準にするかによって損失にも利得にも見えるのです。

注意の焦点が移る瞬間

状況にまだ余裕がある間、人は「元の水準へ戻りたい」と考えやすいでしょう。投資家なら買値、経営者なら黒字化、国家指導者なら失った領土の回復が意識されます。その段階では熱望水準 \(A\) が心理的な中心です。現在値 \(W\) が \(A\) を下回ると、目標から見て負けている感覚が強まり、限られた逆転可能性へ賭けたい気持ちが生まれるという可能性があります。

ところが、損失が積み上がって \(W\) が \(S\) に近づけば、頭の中で別の問いが大きくなります。以前の水準へ戻れるかを考えるだけでなく、このまま続けて生活や会社を維持できるかという問いが大きくなるのです。その焦点の移動が判断を変えるという可能性がありますが、危機が近づいたときの反応は一通りではありません。

生存水準へ接近すれば必ずリスク回避へ転じるという単純な法則が確立しているわけではありません。破綻寸前だからこそ、最後の逆転へさらに大きく賭ける主体もいるという可能性があります。本稿の参照点のジャンプは、危機に近づけば自動的に撤退するという説明ではありません。生存への注意が強まり、その下限を新しい比較基準として残存資源を評価し直したときに、選択の意味が変わり、リスク態度が反転し得るという条件付きの考え方です。損失額の大きさだけでなく、何を守るための意思決定へ変わったのかを確かめることが重要ではないでしょうか。

参照点のジャンプとリスク態度の反転

大きな損失と守れる残存価値

当初の参照点を熱望水準に置く場面は、次の関係で表せます。

\[ R_1=A \]

現在の資源が当初目標を大きく下回る状況では、参照点からの差は次のように大きなマイナスです。

\[ W-R_1\ll0 \]

この関係では、主体は大きな損失領域にいます。ここでは「元に戻すこと」が中心課題となり、リスクを取る行動が続きやすいでしょう。しかし、破綻が現実味を帯び、生存の下限へ注意が移る場面では、次のように比較基準を置き直す場合を考えます。

\[ R_2=S \]

その時点で現在の資源が生存水準を上回っているなら、新しい比較基準との関係は次の形です。

\[ W-R_2>0 \]

この場合、客観的な資産額 \(W\) が同じでも、心理的評価は、目標未達の損失から下限を上回る残存価値へ変わるという可能性があります。昨日までは失った大きさに目を向けていた人が、今日は、まだこれだけ残っていると感じ直す場面です。

その瞬間、追加の損失は挽回のために受け入れる危険から、残ったものまで失う危険として感じられるという可能性があります。確率を客観的に扱い、比べる選択肢の結果が新しい参照点より上に収まる単純化モデルでは、利得側の凹型の価値関数からリスク回避が生じると予測されています。実際の判断では、下限を割る結果や確率の重み付けも含めた、選択肢全体の評価が必要です。元通りになる可能性を追うより、今なら資源を残せることに価値を感じるという可能性があります。残ったものまで失う不安が強まれば、長く拒んでいた売却や撤退が、守るための選択として受け入れられる場合があるのです。

これは、長く耐えてきた人が突然撤退へ動くことを考える一つの説明であり、危機にある人すべてが同じ順序で行動するという法則ではありません。

静的モデルと動的参照点モデルの違い

比較項目 固定参照点を置いた単純化モデル 動的参照点と複数参照点を考える枠組み
参照点 分析期間中は一つの基準を固定 熱望水準や生存水準など複数の基準を考える
現在値の評価 初期基準からの差で評価 注意を向ける基準によって評価が変わる
深い損失 損失領域に残りやすい 生存への注意が強まる可能性がある
リスク態度 確率などの条件をそろえると損失側のリスク愛好を予測 条件次第でリスク回避へ反転する可能性がある
回復時の行動 買値未満なら損失のまま 新参照点からの利得として捉える場合がある
主な着眼点 価値関数の曲率 価値関数に加えて参照点の位置と注意の焦点

この比較から見えてくるのは、現在値が動いたかどうかに加えて、どの位置からその値を評価しているかを確かめる必要性です。その構造を身近な場面で考えるため、次に株式投資の塩漬けと反発時の売却を見ていきます。

株式投資の塩漬けとやれやれ売り

ディスポジション効果

行動ファイナンスでは、値上がりした銘柄を比較的早く売り、含み損を抱えた銘柄を長く保有しやすい傾向がディスポジション効果として研究されています。利益を逃したくない気持ちと、損失を認めたくない気持ちは、売却の時期を考えるうえで重要ではないでしょうか。売らずにいれば戻る余地が残ると感じることは心理的に理解できますが、将来の投資価値が高いことを意味するわけではありません。

保有や売却の合理性は、その時点で期待できる収益と損失、使う予定のある資金、保有資産全体の偏りなどを含めて判断します。セイラーとジョンソンの研究では、先行する損失があると、損失を取り戻せる結果を含む選択肢が特に魅力を持つブレークイーブン効果が扱われています。危険そのものを好むというより、元に戻れる可能性を重く見る行動を理解する手がかりです。

ある投資家が100万円で購入した株が90万円へ下がったとしても、まだ戻ると期待して保有を続ける場合があります。70万円になれば、売却すると30万円の損失を認めることになるという感覚が、さらに判断を難しくするかもしれません。購入時には値上がりを楽しみにしていたはずなのに、いつの間にか、100万円へ戻ること自体が保有の目的になっているという可能性があります。

さらに50万円まで下落すると、購入価格100万円は依然として頭に残っています。しかし、借入れや生活資金まで関係していれば、購入時の期待だけを基準にすることはできません。これ以上下がると返済や生活に必要な資金を確保できないという不安が、以前の値上がりへの期待より切実になるという可能性があります。ここで意識の中心が100万円から、財産や証拠金を維持できる下限へ移る可能性があります。

底値から戻ったときの心理

100万円で購入した株の評価額が40万円まで下がり、その後48万円へ戻った場面を考えてみましょう。購入価格から見れば52万円の含み損が残っていますが、底値からは8万円分の価値を取り戻したことになります。以前は100万円まで戻ることを目標にしていても、40万円を新たな比較基準にすると、48万円は回復分を守れる状態に見えるという可能性があります。ただし、経験した底値40万円と、生活や返済を維持できる生存水準 \(S\) は、別の基準です。

生存水準を意識している場合も、その下限より上に残せる資源があれば、売却の意味が変わるという可能性があります。最悪の状態から抜け出した安堵の後に考えたいのは、48万円が再び40万円に下がり、戻った8万円まで失うことへの恐れです。

心の中で「せっかく戻ったのだから今のうちに逃げたい」という気持ちが強まると、長期間ためらってきた売却へ動く場合があります。本稿で扱うのは、やれやれ売りと表現されるような場面のうち、買値未満の反発時に手放す判断です。売るという行為は同じでも、損を取り戻せないことを認める行為から、残せる資産を確保する行為へと、本人にとっての意味が変わるという可能性があります。

V字型の売却行動が示すもの

ベン=デイヴィッドとハーシュライファーの取引データの分析は、取得価格からの損益率と売却確率の関係がV字型になることを報告した研究です。特に短い保有期間では、小さな損失より大きな損失を抱えた銘柄のほうが売られやすい結果です。

ただし、この研究結果だけから「大損した投資家が参照点を底値へ移したから売った」と断定することはできません。研究自体も、投機的取引など別の説明可能性を検討しています。V字型の売却確率と参照点の変化を結び付ける読み方は一つの仮説ですが、売却確率の形だけでは、その心理的な原因まで確認できません。それでも、参照点適応の研究と併せると、大損をした投資家は永遠に保有するはずだという単純な理解の限界が見えてきます。

局面 株価の状態 意識されやすい基準 心理的な認識 起こり得る行動
初期下落 買値から小幅下落 購入価格 \(P_0\) 少し負けている 損切り延期や買い増し
下落拡大 含み損が拡大 購入価格 \(P_0\) 元に戻したい 長期保有や追加リスク
危機接近 資金余力が大きく低下 生存水準 \(S\) 全損だけは避けたい 判断停止や防衛行動
初期反発 底値から小幅回復 底値や生存水準 まだ資産が残っている 残存価値の確保と売却

大損や反発の有無だけを、売却の理由として考えることはできません。何を損失と呼び、何を守るべき利益と呼んでいるかが途中で変わることなのです。

企業経営の赤字事業と突然の撤退

コミットメントのエスカレーション

企業経営でも、過去の判断への責任と、将来の資金配分が絡み合う場面があります。新規事業へ100億円を投じたものの、期待した成果が出なかった会社を考えてみましょう。経営陣にとって、その100億円には設備や開発だけでなく、社員の努力、顧客への約束、事業を承認した自分自身の判断が重なっているかもしれません。

過去に支払った100億円のうち、どの選択をしても回収できない部分がサンクコストです。一方、売却できる設備の価値は現在の判断に関係するため、将来の追加費用や収益、撤退時の回収額と分けて比較します。

しかし、経営者にとっては数字だけの問題ではありません。自分が企画を承認していたり、多くの社員を巻き込んでいたりすれば「ここで撤退すれば自分の判断が間違っていたと認めることになる」という心理的負担が生まれます。

さらに「これだけ投入したのだから、あと少し投じれば回収できる」という期待も残ります。うまくいっていない行動へ追加資源を投入し続けることは、コミットメントのエスカレーションとして扱われる現象です。

戦略論では、業績とリスクの関係はボウマンのパラドックスとも関連づけて議論されてきました。同一産業内で収益率の平均と変動が負に関連するという研究結果ですが、それだけで、低業績が経営者のリスク愛好を引き起こすと確定するものではありません。

もっとも、経営上のリスク選好はプロスペクト理論だけで決まるわけではありません。資金制約、競争環境、経営者報酬、債権者との契約、組織政治など、複数の要因が重なります。

なぜ赤字が縮小してから撤退するのか

興味深いのは、大きな赤字が続いている最中には撤退できなかった企業が、業績が少し改善してから事業を畳む場合です。外から見ると「傷が浅いうちに撤退すればよかったのに」と感じるでしょう。さらに不思議なのは、ようやく赤字が縮小したのなら、あと少し続ければ黒字化する可能性もあるのに、そこでやめてしまうことです。

参照点が変わったと考えると、この判断には別の意味が見えてきます。事業開始時には、経営陣の基準は「投下資本を回収して黒字にすること」だったかもしれません。

ところが赤字が全社の資金繰りを圧迫し始めると、事業の成功より、会社全体を生き残らせることが優先されるという可能性があります。つまり、参照点が事業単体の熱望水準から企業全体の生存水準へ移るという可能性があります。この状態で市況が少し回復し、事業売却価格が改善すれば、当初目標からは黒字化への第一歩に見えるでしょう。しかし企業全体の存続を重視するなら、その改善は、まだ資金を残せるうちに売却できる機会として評価されるという可能性があります。売却先が存在するか、撤退費用はいくらか、続けた場合の見込みはどうかも、併せて確かめる必要があります。

そのため、回復を待っていたように見える会社が、回復し始めた瞬間に売却へ動く場合があるのです。経営者が守ろうとしている対象が事業の成功から企業の存続へ変われば、同じ数字でも意思決定の意味は反転します。

インテルのDRAM撤退とゼロベース思考

1985年のインテルのDRAM事業撤退は、判断基準を意識的に組み替える例として知られています。DRAMは同社の初期の重要製品だったため、事業から離れる決断には、競争上の計算だけでなく会社の歴史を手放す重さもありました。

1980年代前半、インテルは日本企業とのメモリ競争に直面していました。当時の決算報道では、純利益は1984年の約1億9800万ドルから、1985年には200万ドル未満へ急減しています。

アンディ・グローブはゴードン・ムーアに、新しいCEOが来たら何をすると思うかと問いかけました。グローブ本人の回想では、ムーアはメモリ事業から撤退するだろうという趣旨で答え、二人が自らその判断を実行する発想へつながっています。

この問いが鋭いのは、過去の投資や自分たちの歴史をいったん判断から外している点です。これまで何をしてきたかという問いから、今日初めてこの会社を任されたら何をするかという視点へ移す方法です。

インテルはDRAMから撤退し、マイクロプロセッサと関連製品へ重点を移しました。ここでいう撤退はDRAM事業の撤退であり、あらゆる種類のメモリ製品を一斉にやめたという意味ではありません。ただし、この出来事を心理実験のように扱い「参照点のジャンプが起きたことが実証された」と言うことはできません。

1985年 DRAM マイクロプロセッサと 関連製品
インテルはDRAMから撤退し、マイクロプロセッサと関連製品へ重点を移しました。

企業史と経営者の回想から確認できるのは、深刻な競争環境の中で従来の前提を問い直し、DRAMからの退出と経営の重点変更を決めたことです。特定の心理モデルが働いたと実証された事例ではなく、過去と距離を取る判断方法として読む必要があります。それでも、自分たちの成功や投資額に結び付いた視点を外部者の視点へ置き換える問いは、判断を見直す材料になるのではないでしょうか。「自分たちが始めた事業だから続ける」という参照点をいったん外すと、残すべき価値と手放せる事業を考える余地が生まれ、継続以外の選択肢も現実味を帯びます。

パナソニックのプラズマ事業撤退

パナソニックのプラズマディスプレイ事業も、大規模な事業再編を考えるうえで重要な例です。同社は2012年3月期に約7722億円、2013年3月期に約7543億円の親会社帰属の純損失を計上しました。これは企業全体の損失であり、全額がプラズマ事業だけの損失ではありません。

パナソニックは2013年10月、同年12月にプラズマディスプレイパネルの生産を終了すると発表しました。さらに、尼崎の関連工場の事業活動を2014年3月末で停止する方針を示しています。

公式発表は、大型液晶の急速な発展、世界市場での厳しい価格競争、PDP需要の減少などから、事業継続が困難と判断したと説明しています。事業構造の最適化と経営資源の集中も示されており、心理だけでなく市場と経営上の制約が重要な背景です。

ここでも、経営陣の内面的な参照点が実際にどこへ移ったのかを外部資料だけから断定することはできません。一方で、巨額損失と事業環境の変化を受け、個別事業の維持より経営資源の再配分を優先したという事実は確認できます。動的参照点の観点から本稿では、投下資本の回収を目指す基準から、残された資源を将来の企業価値へ振り向ける基準への変更として読みます。これは資料から経営陣の心理を直接確認した結果ではなく、撤退の意味を考える一つの解釈です。

撤退理由を心理要因だけへ還元すると、公式資料が示す競争環境や需要減少の説明を見落としてしまいます。経営環境と財務制約の変化に伴い、守る対象の優先順位も変わり得ると考えるほうが、事例を理解しやすいのではないでしょうか。事業を畳むことが、そこで働いてきた人の技術や努力の否定になるとは限りません。過去の支出は戻らなくても、蓄積した知識や経験を残しながら、今後の資源配分を変える選択として考える余地があります。

戦争継続と講和の意思決定

敗勢でも戦い続ける心理

国際政治でも、損失領域のリスク態度は研究対象となってきました。開戦前の国境や勢力圏を参照点としている国家にとって、領土喪失は明確な損失です。そこで指導者が「失ったものを取り戻すこと」を基準に考え続ければ、劣勢でも追加の兵力や資源を投入する誘因が生じるという可能性があります。さらに、戦争終結によって失脚や処罰を受ける可能性が高い指導者では、国家全体の利益とは別に、指導者自身の政治的生存が判断へ影響する場合もあります。

国家の利益と指導者の再起の可能性がずれる問題は、復活を賭けたギャンブルという議論の対象です。ただし、国家の存続と指導者個人の政治的生存は別であり、一方に有利な戦争継続が他方にも有利とは限りません。国にとって戦争終結が合理的でも、指導者個人には戦争継続のほうが有利な場合があり、その反対もあり得ます。

したがって、戦争を単純に一人の投資家と同じ構造で説明することはできません。ジャック・レヴィは、プロスペクト理論を高い利害の伴う国際政治や、相互作用する集団の意思決定へ一般化する際の外的妥当性を問題にしています。実験で確かめた個人の選択を、そのまま国家の行動として扱えない点を押さえる必要があります。

国家の存続が新しい基準になる可能性

それでも、何を守ろうとしているかを考えるうえで、参照点という視点は役立つのではないでしょうか。当初は開戦前の領土回復を基準としていても、国土や軍事力が大きく失われると、国家そのものを残せるかが強く意識されるという可能性があります。

当初の参照点を \(A\)、国家が存続できる下限を \(S\) とします。開戦前の状態から見れば、現在の国土や資源 \(W\) は大きな損失です。国家の存続を維持できる下限 \(S\) と比べて、なお残せる資源があるという関係は、概念上、次のように表せます。ただし、領土、統治能力、国民の生命は単純に同じ単位へ換算できないため、ここでの式は厳密な国家評価の計算式ではありません。

\[ W-S>0 \]

この関係のように国家を残せる余地が意識されれば、完全な回復を追求することと、これ以上の崩壊を避けることの優先順位が変わるという可能性があります。

すべてを取り戻すための戦争継続から、残っている領土と統治能力を失わないために終わらせる判断へ転じるという可能性があります。昨日までの講和は敗北の確定だったのに、今日の講和は国家を残す手段になるわけです。

耐え難い膠着状態と出口

ウィリアム・ザートマンの紛争解決研究では、相互に耐え難い膠着状態と、そこから抜け出す出口の認識が重視されています。勝利を得られず、継続が双方に大きな痛みをもたらすという認識と、交渉による解決の見通しが、交渉開始の条件になるという考え方です。

さらに大きな破局が迫る、あるいは破局を経験することも、別の政策や交渉の出口を探す契機として論じられています。ただし、こうした条件が整っても交渉へ進むとは限らず、紛争がいつ終わるかを保証する理論ではありません。

この理論は、参照点のジャンプと同じ理論ではありません。とはいえ、勝つことから、これ以上の破局を避けることへ注意が移るという点では、相互に補い合う視点として考えられるのではないでしょうか。

戦争終結を一つの心理理論だけで説明するのではなく、軍事状況、国内政治、同盟、外交、指導者の生存、国民の生命、そして参照点の変化を重ねて考える必要があります。損失が深まれば必ず降伏するのではなく、何を失えば本当の破滅なのかという認識が変わったとき、和平の意味も変わるのです。

投資と企業経営と国家紛争に共通する構造

ここまでの三領域を並べると、客観的にはまったく異なる場面でも、判断構造には似た部分が見えてきます。

分析領域 当初の熱望水準 \(A\) 熱望水準への固執 生存水準 \(S\) 参照点転換後に起こり得る行動
株式投資 購入価格や過去高値 塩漬けや買い増し 全損や返済不能の水準 反発局面での売却
企業経営 投下資本回収や黒字目標 赤字事業継続や追加投資 資金ショートや倒産危機 売却や事業撤退
国家紛争 開戦前の領土や戦勝目標 劣勢下での戦争継続 国家や統治機構の存続限界 講和や目標縮小

三つの領域には共通する比較構造があっても、同じ方程式で結果を予測できるわけではありません。株式投資には市場価格と個人資産、企業には従業員や債権者、株主、競争相手があり、国家紛争では国民の生命、主権、外交関係、安全保障が関わります。共通しているのは、意思決定者が何かを失ったとき、過去の目標と破綻回避という二つの基準の間で揺れ得ることです。

そこに注目すれば、もっと早くやめられなかった理由と、ここまで来て急にやめた理由を、基準の移り変わりから考えられるのではないでしょうか。

参照点ガバナンスで判断の暴走を防ぐ

感情を消すのではなく基準を見えるようにする

どの基準から考えるかは意思決定に欠かせないため、参照点の影響を完全になくすことを目標にしても、判断は難しくなるでしょう。必要なのは感情を消すことより、何を基準に不安や期待が生まれているのかを、本人にも分かる形にすることではないでしょうか。問題は参照点を持つことではなく、どの参照点を使っているのか自分でも分からないまま、基準だけが動いてしまうことにあります。

昨日までは購入価格を見ていたのに、今日は底値からの反発に注目しているという変化は、判断の目的が移る合図かもしれません。事業でも、黒字化を目指していた段階から、会社全体の資金を守ることが優先される段階へ移る場合があります。目的が変わること自体を誤りとする必要はありませんが、変わった理由が分からなければ、その選択を後から検証しにくくなります。

市場環境や資金余力の変化に対応したのか、その日の恐怖に押されたのかを分けることが、基準変更を検討する出発点です。後から結果だけを見て判断を責めるより、決めた時点での目的と根拠を残しておけば、次の見直しで何が変わったかを確かめられます。本稿でいう参照点ガバナンスは、このように比較基準と変更理由を意識的に管理する実践です。標準化された制度や効果が確立した手法名ではなく、投資や事業判断で試せる考え方として提案するものです。

事前コミットメント

投資や新規事業では、結果が出てから撤退条件を考えると感情に引っ張られやすくなります。感情的な関与がまだ小さい段階で、判断を見直す状態を決めておくことが、ここで試したい方法です。損失が出た後に基準をずらしていないか確かめるため、期限と条件を記録し、仕事では必要な相手に先に共有しておくと説明の材料になります。

新規事業で見直し条件に使える指標は、予算超過額、顧客獲得数、営業利益、キャッシュ消費額などです。条件に触れても自動的に撤退する必要はなく、その時点で継続理由を再検討する機会を設けることが大切ではないでしょうか。追加の資金や時間を使う前に、将来の見込みが当初の説明に追い付いているかを確かめます。

過去の回収不能な投資額と、今日から追加で使う資金、今後得られるキャッシュフローを別々に並べて比較します。過去から得た顧客の反応や市場データを残し、撤退側の清算費用や契約上の負担も含めれば、選べる未来同士を比べやすいのではないでしょうか。

新しい責任者なら続けるか

インテルの例から応用できるのが、外部承継者の視点です。ある事業に長く関わるほど、自分の過去の発言や努力も、切り離して考えにくい判断材料ではないでしょうか。そこで「明日、自分とは利害関係のない新しい責任者が着任したら、この事業を続けるだろうか」と考えます。

新しい責任者なら続けないと判断したのに、自分は継続したい場合、その違いに過去へのコミットメントが関わるという可能性があります。この問いは、撤退を促すためのものではありません。

継続を選ぶとしても「なぜ新しい責任者でも続ける価値があるのか」を説明できれば、判断の根拠が強くなるでしょう。

今の価格で買い直すか

投資では、さらに単純な問いが使えます。現在100万円で売れる資産を保有しているなら「100万円の現金を持っていたとして、今日この資産を100万円で買うか」と考える方法です。保有しているから持ち続けることと、現在価値を見て改めて投資することは同じではありません。もっとも、実際の売却や買い直しでは、税金、取引費用、換金条件、保有資産全体の配分も考慮する必要があります。

買い直したいと思えないにもかかわらず「売ると損が確定するから」という理由だけで保有しているなら、購入価格が強すぎる参照点になっている可能性があります。反対に、現在の価格でも十分に投資価値があると判断できるなら、含み損があることだけを理由に売る必要もありません。

過去にいくら払ったかだけを見ず、今日ここから何が期待できるかへ問いを戻す方法です。

組織で参照点を管理する仕組み

起案者と撤退判断者を分ける

新規事業を立ち上げた本人へ、事業撤退の最終判断まで任せると難しさが生まれます。撤退が必要だと思っても「自分の失敗を認めたと思われるのではないか」という不安が入り込むからです。また、事業に人生の数年間を使った人ほど、その事業を数字だけで見ることは難しくなります。この難しさを意志の弱さだけで説明すると、立場や利害、長く関わった時間が判断に与える影響を見落としてしまうのではないでしょうか。

そこで、事業推進者とは別に、継続、修正、縮小、撤退を評価する機能を設ける方法があります。独立した戦略レビューボードなどは、成功させたい人と、続ける価値を判定する人の役割を分けるための仕組みです。

参照点監査

数字の確認に加えて、参照点そのものを点検することも、判断を振り返る方法の一つではないでしょうか。本稿でいう参照点監査は、どの目標や下限を判断に使っているかを、定期的に言葉へ戻す実践上の提案です。

会議で売上や利益率を確認するのと同じように、現在の成功基準、撤退を考える下限、半年以内の基準変更を確認します。熱望水準への固執だけが危険なのではありません。危機が迫ったとき、恐怖によって生存水準だけを見てしまい、本来なら継続すべき案件まで投げ出すこともあります。参照点監査の目的は、撤退を早めることではありません。熱望への執着と破綻への恐怖のどちらにも判断を乗っ取られないようにすることです。

自分の参照点を確認する小さな実践

大がかりな分析をしなくても、重要な判断の前に三つの数字を書くと、自分がどこから状況を見ているのか分かりやすくなります。紙の上に、熱望水準 \(A\)、現在値 \(W\)、生存水準 \(S\) を置きます。事業で使う場合の一例は、黒字化に必要な売上を \(A\)、現在の売上を \(W\)、資金繰りを維持できる最低売上を \(S\) と置く方法です。ただし、同じ期間と費用構造、入金条件をそろえ、売上と資金繰りの関係を確かめられる場合に限ります。

現在値 W 熱望水準 A 生存水準 S W-A W-S
紙の上に、熱望水準 \(A\)、現在値 \(W\)、生存水準 \(S\) を置きます。

実際の存続判断では、売上だけでなく、現預金残高、支払期日、代金の回収時期も別に確認します。比較可能な単位と期間にそろえたうえで、まず見るのは、次のような目標との差です。

\[ W-A \]

もう一つの差は、現在値が生存の下限をどれだけ上回るかを示すものです。

\[ W-S \]

二つの差を分けると、目標には大きく届いていない一方で、存続のための余力は残っている状態を区別できます。反対に、黒字目標へ近づいていても、入金までに資金が尽きるなら、余裕があるとは判断できません。事業の改善を待てる余力と、今すぐ守る必要がある資源を分けることが、継続と縮小、撤退を比較する出発点になります。

数字を分けると、目標達成のための継続、失敗を認めたくないための継続、生き残るための撤退を、別の理由として検討しやすくなるのではないでしょうか。さらに、次回の見直し条件を一つ決めます。一週間後、四半期末、追加投資の前など、意思決定を再評価する地点を事前に置けば、その日の恐怖や高揚だけで判断を変えにくくなります。見直しの材料になるのは、以前と比べて目標や下限、現在値のどこが変わったかという記録です。参照点が変わっていたとしても、それだけで過去の判断を否定する必要はなく、変更を支える新しい情報があるかどうかを見ていきます。

環境に合わせて基準を改めることと、苦しい気持ちを避けるために基準だけを下げることは、同じではありません。理由を短く記録しておけば、次の確認で、目標の変更が現実の条件に対応したものかを振り返る材料になります。市場環境が変わったからなのか、資金余力が減ったからなのか、それとも一時的な損失への恐怖から基準だけを下げたのか。

継続や撤退の結論だけでなく、その理由を区別して言葉にできれば、次の判断を検討しやすくなるのではないでしょうか。良い意思決定とは参照点を固定することではなく、参照点が変わった理由まで説明できる状態をつくることではないでしょうか。

動的意思決定としてプロスペクト理論を捉える

プロスペクト理論を、利得ならリスク回避、損失ならリスク愛好という二つのルールだけで理解すると、現実の説明としては不十分です。人や組織は、時間が経っても同じ基準だけを見続けているとは限りません。過去の目標、取得価格、損益分岐点へのこだわりが長く残る一方で、損失が極端になれば生活、企業、国家などの存続そのものが意識されます。ここで考えるのは、参照点が熱望水準 \(A\) から生存水準 \(S\) へ移り、同じ現在値 \(W\) の評価も変わる場面です。

熱望水準からは大きく負けている状態でも、生存水準からは、まだ守れるものが残っていると感じられるという可能性があります。それまで逆転を狙ってリスクを取っていた主体の急なリスク回避も、残存価値を守るための判断として考える余地が生まれます。これが、塩漬け株の反発局面での売却、赤字事業の改善局面での撤退、劣勢下からの講和を一つの視点で考えるための参照点ジャンプという枠組みです。とはいえ、参照点の変化だけでは、投資の流動性不足や信用取引の強制決済、企業の資金制約、競争、ガバナンス、売却相手の有無を説明し切れません。心理的な選択と、制約によって選ばざるを得なかった行動は、分けて考える必要があります。

戦争終結には軍事情勢、国民の生命、同盟関係、指導者の政治的生存などが影響します。したがって、参照点のジャンプは複雑な現実を考えるための一つの枠組みであり、すべての行動の原因を確定する説明ではありません。それでも、なぜ続けたのかと、なぜそこでやめたのかをつなぐ視点として役立つのではないでしょうか。

続けた理由と、そこでやめた理由を別々の不可解な行動として扱う前に、守ろうとした対象が変わったかを確かめてみてはいかがでしょうか。前半では元の状態を取り戻すことを最優先していても、後半では残されたものを守ることが優先されるという可能性があります。その変化が分かれば、粘り続けた後に撤退する二つの行動を、同じ人や組織の目的の移り変わりとして捉えられます。判断を一貫させることは、同じ行動を永遠に続けることと同義ではありません。守る対象が変わった理由を確かめながら、いま残っている選択肢を比較することが大切ではないでしょうか。

まとめ

プロスペクト理論では参照点から見た利得と損失が価値評価に関わり、リスク態度は確率や選択肢にも左右されます。損失が深まり、熱望水準への復帰より生存が重視されると、残存資源は、取り戻せていない損失から、まだ守れる価値へ意味を変えるという可能性があります。本稿の動的参照点は、売却、撤退、交渉への転換を、その基準の変化から考える枠組みです。ただし、資源を残せるかは実際の条件次第であり、継続と撤退の将来費用や見込みを比べる必要があります。

残存資源 取り戻せていない 損失 まだ守れる 価値
損失が深まり、熱望水準への復帰より生存が重視されると、残存資源は、取り戻せていない損失から、まだ守れる価値へ意味を変えるという可能性があります。

重要な判断では、目標、現在値、生存の下限と、次に見直す時点を書いてみてはいかがでしょうか。いまの参照点がいつ変わり、その理由が環境の変化なのか、恐怖や執着なのかを言葉にすれば、感情が生まれた背景を振り返る材料になります。感情を消そうとする前に、その基準と小さな距離を取り、残された選択肢を見直すことから始められるのではないでしょうか。

参考資料

人気記事

  • 本日
  • 週間
  • 月間

-行動経済学