社会・経済

少子化と企業中心社会 雇用不安から老後不安までを考える

子どもを持ちたい気持ちはあっても、出産後に今の仕事へ戻れるのか、教育費が重くなる40代や50代にも所得を維持できるのか、自分たちの老後まで準備できるのかと考え始めれば、現在の年収だけでは決断できません。少子化を考えるには、出産時点の家計だけを見るのではなく、20代の雇用から出産後のキャリア、中高年の働き方、高齢期の所得まで続く人生全体の見通しを見る必要があります。

本稿で考えるのは、単純な「雇用不安が少子化を引き起こす」という説明ではありません。企業や組織に雇われて働くことへ社会の多くを寄せてきた結果、家庭、企業、行政にはそれぞれ合理的な行動があるにもかかわらず、それらを組み合わせた社会全体では別の負担が生まれ、その負担が出産期、中高年、高齢期へ連続し、やがて若年期の家族形成へ戻ってくるという可能性です。

企業勤務には、大規模な分業、安定した給与、社会保険、教育訓練、組織としての信用など、大きな利点があります。問題は企業そのものではなく、人の生活を支える仕組みまで企業や組織との雇用関係へ強く結び付けた一方で、育児、介護、病気、失業、加齢などによってその経路から外れた後に、別の方法で生活を組み直す道が十分に残っているのかという点です。

少子化、中高年の雇用不安、老後不安は、別々の政策課題に見えます。しかし、一人の人間が年齢を重ねていく順番へ並べてみると、同じ社会構造の異なる断面として見えてくるのではないでしょうか。

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目次

少子化は人生全体の将来不安として考える

少子化について語るときには、教育費、住宅費、保育、家事・育児負担、価値観の変化などが個別に取り上げられます。どれも重要ですが、それぞれを別々の問題として扱うだけでは、子どもを望んでいる人までなぜ慎重になるのか、その心情を十分には説明できません。

国立社会保障・人口問題研究所の第17回出生動向基本調査では、夫婦の平均理想子ども数は2.18人、平均予定子ども数は1.95人となり、予定子ども数は初めて2人を下回りました。理想の数の子どもを持たない理由としては、子育てにお金がかかることや、育児の心理的・肉体的負担などが挙げられています。

ただし、「子育てにお金がかかる」という言葉を現在の食費や保育料だけに置き換えると、家庭が見ている時間軸を狭く捉えることになります。子どもに必要な支出は一度払えば終わるものではなく、住居、日々の生活、教育、進学などを通じて長期間続くため、家庭が考えているのは「今払えるか」だけではなく「二十年以上続いても生活が崩れないか」という問題だからです。

ある共働き家庭が第二子を考えているとします。現在は二人の給与で生活できていても、どちらかが育児のために勤務時間を減らし、より広い住居が必要になり、二人分の教育費を負担しながら、自分たちの老後資金まで準備すると考えれば、「今年なら払える」という感覚と「この先も大丈夫だ」という感覚には大きな距離が生まれるでしょう。

親になれば、自分の消費や自由時間を減らしてでも子どもを支えたいと考える人は少なくありません。だからこそ、まだ子どもを持っていない段階では、「自分はその責任を最後まで負えるのか」と考え、勤務先の業績悪化、病気、転職、親の介護、自分自身の老後まで頭の中へ入り込んできます。

慎重になる理由は、責任を負いたくないからとは限りません。むしろ、子どもを持つなら途中で投げ出したくない、十分な生活や教育を用意したいという気持ちが強いほど、その約束を二十年以上守れるかを先に考えるという可能性があります。

お金は幸福そのものではありません。それでも、住居、教育、医療、移動、余暇、老後の安心を実現する重要な材料であり、その材料が子どもを持つほど大きく減るうえ、将来の所得を回復できる見通しまで弱いなら、家族を望んでいる人ほど慎重になることは理解できます。

人は現在の財布だけで生活しているのではなく、頭の中では数十年後の財布まで重ねながら現在の選択をしています。

将来の失業リスクと結婚意欲には関連がある

現在の所得だけでなく、将来の雇用見通しも家族形成と関係することには、公的研究から手掛かりがあります。内閣府経済社会総合研究所の研究では、男女とも本人が認識する5年後の失業リスクと結婚意欲の高低に関連があり、消極的に未婚を選ぶ確率についても、失業リスクや所得の下振れリスクとの関係が確認されています。

一方、所得の不確実性に関するすべての指標で有意な関係が示されたわけではなく、不確実性から結婚意欲、実際の婚姻、さらに出生数までが一本の因果関係として確認された研究でもありません。ここから直接言えるのは、少なくとも結婚を考える人が現在の年収だけで判断しているわけではなく、将来の失業可能性も意識しているというところまでです。

同じ年収500万円でも、この先も働き続けられ、所得を一定程度維持できると思える人と、40代になれば失業や大幅な所得低下が起こるかもしれないと感じる人では、現在の100万円が持つ意味は変わります。後者にとって貯蓄は単なる余剰資金ではなく、もし仕事で何かあっても住宅費や教育費を払い続けるための防波堤になるため、今使えるお金があっても長期支出へ慎重になる理由があります。

現在の年収が同じでも、失った後に取り戻せると思えるかどうかで、生活設計に対する心理は変わります。ここから先を考えると、少子化と雇用不安の間には、企業での働き方そのものを見なければ分からない部分が現れます。

家業から企業中心社会へ変わった意味

本稿でいう「企業中心社会」は、民間企業で働いている人だけを指す統計上の区分ではありません。所得の安定、職業能力の形成、社会保険、信用、昇進など、生活を支える多くの要素が、企業、官公庁、団体などの組織との雇用関係へ強く結び付いている社会構造を指しています。

この構造を考えるために、農業、商店、工房など家族を単位とする仕事が多かった社会と比較してみます。以前の生活へ戻るべきだという話ではなく、生産と家庭の関係がどのように変化し、その結果として誰がどの負担を引き受けるようになったのかを見るための比較です。

仕事と家庭が別の場所へ分かれた

家族を単位とする仕事が多かった時代には、家庭と生産活動が同じ生活圏に存在することが珍しくありませんでした。親が働く場所と子どもが生活する場所が近く、現在ほど仕事と育児を別々の時間へ切り分けなくても暮らせる場面がありました。

子どもは幼いうちは世話を必要としますが、成長すれば家事や家業の一部を手伝い、やがて働き手や後継者になる場合もあります。そのため、親が子どもへ使った時間や費用が、将来の家業や家庭を維持する力へ直接つながる関係も存在しました。

もちろん、以前の社会を理想化することはできません。職業選択の自由が狭かったこと、家業を継ぐ圧力があったこと、女性へ家事や育児が集中したこと、子どもの労働を当然視した時代があったことなど、現在へ戻すべきではない問題があります。

それでも、仕事と家庭が現在ほど時間的にも空間的にも切り離されていなかったことには意味があります。企業や組織に雇われて働く場合、勤務中の生産活動と家庭での育児は別の領域になり、保育園への送迎、子どもの発熱、学校行事、長期休暇などが発生すれば、親は勤務先の時間割との調整を求められます。

企業から見れば、決められた時間に働き、急な配置変更にも対応できる人ほど使いやすいという合理性があります。一方の家庭では、子どもが増えるほど予定外の対応が増え、企業の求める柔軟性へ完全に合わせることが難しくなるでしょう。

これは子どもが仕事の邪魔だという話ではありません。現代では企業の生産活動と、家庭による次世代育成が別の場所と時間へ切り分けられ、その間を調整する費用が家庭側へ見えやすい形で現れるということです。

家業では仕事と育児が常に補完関係だったとは限りません。それでも、現在のように「働く時間」と「育児する時間」を制度上はっきり分け、その衝突を個人が勤務調整や休暇によって吸収する働き方が社会の中心になると、家族を持つことによる時間制約が労働市場で見えやすくなります。

個々の主体が合理的に行動していても、その積み重ねが社会全体にとって望ましい結果になるとは限りません。

次世代育成の費用と便益は同じ場所へ戻らない

現代では、一人の子どもが経済的に自立するまでの期間が長くなっています。高校や大学への進学だけでなく、塾、習い事、受験、場合によっては一人暮らしまで考えると、家庭が負担する時間と費用は長期間に及びます。

家業を継ぐことが一般的だった社会では、成長した子どもが家族の仕事へ参加し、家計の生産力を高める場合がありました。親が子どもへ使った資源には、将来の家業や家庭を維持するための投資という側面もあったと考えられています。

現在は、親が長期間にわたって教育費や生活費を負担しても、その子どもが親の仕事を継ぐとは限りません。本人は自由に職業を選び、別の企業や団体で働き、親とは離れた地域に暮らすことも普通です。

これは個人の自由として大きな価値があります。しかし費用と便益の所在という面では、家庭が妊娠、出産、日常の育児、教育、時間制約、キャリア中断などを負担して育てた人材が、成長後にはさまざまな企業や組織で働き、税や社会保険料を払い、社会全体へ価値を提供する構造になっています。

企業も賃金、社会保険料の事業主負担、税、教育訓練費などを負担しているため、「家庭だけが負担し、企業は何も負担していない」と考えるのは正確ではありません。それでも、次世代を育てる直接的な費用と時間が家庭へ集まりやすい一方、その成果は企業や行政を含む社会全体へ広く分散するというずれは残ります。

このずれがあるからこそ、家庭にとっては「もう一人子どもを持つ」という判断が、社会全体にとって必要な次世代育成である以前に、自分たちが追加で長期負担を引き受ける判断になります。社会全体では将来の労働者や納税者が必要でも、その必要性だけで目の前の教育費やキャリア中断の負担が軽くなるわけではありません。

三人の子どもを望んでいても、「三人とも十分な教育を受けさせられるだろうか」と考えれば、二人や一人へ予定を変える家庭があっても不思議ではないでしょう。親心が弱くなったのではなく、一人の子どもへ負う責任が大きくなったからこそ、持つ前の判断が慎重になるという可能性があります。

子どもを持たず共働きを続ける家計の経済的な強さ

子どもを持たず二人が働き続ける世帯では、二人分の所得を維持しやすく、保育や教育への支出を負わず、育児のために勤務時間を減らしたりキャリアを中断したりする必要もありません。その分を住宅、貯蓄、余暇、老後資金などへ回せるため、家計上の自由度と経済的な安全性は維持しやすくなります。

これは子どもを持たない生き方を批判する話でも、子どもを持つほうが望ましいと評価する話でもありません。現在の制度条件のもとでは、子育て費用とキャリア上のリスクを負わない選択のほうが、可処分所得と自由時間を維持しやすいというインセンティブ構造を見ているだけです。

ある夫婦が本当は子どもを望んでいても、子どもを持てば住居を広くし、教育費を負担し、どちらかの働き方を変え、自分たちの老後資金まで別に用意しなければならないと感じれば、「欲しい」という気持ちだけでは決められません。家族を持つほど仕事上と家計上の選択肢が減るのであれば、慎重になる人が増えることを価値観だけで説明するのは難しいでしょう。

ここでも個人の選択だけを責めることはできません。現在の制度の中で、子どもを持たず二人で働き続けるほうが家計の安定を維持しやすいなら、その選択には経済的な合理性があります。

家庭 妊娠、出産、日常の育児、教育、 時間制約、キャリア中断 企業や行政を含む 社会全体 さまざまな企業や組織で働き 税や社会保険料を払い 社会全体へ価値を提供する

企業の合理性と社会の合理性は一致しない

企業が利益を求めること自体は当然です。競争相手がいる以上、人員を効率的に配置し、コストを管理し、生産性を高めなければ、組織そのものを維持できません。

ところが、企業にとって合理的な選択が社会全体にとっても合理的とは限りません。企業が必要としているのは現在仕事を担える人材ですが、社会が長期的に必要としているのは、二十年後や三十年後にも働く人、消費する人、技術を受け継ぐ人、税や社会保障を支える人が存在することだからです。

企業から見れば、長時間働け、勤務地の変更へ応じやすく、育児や介護による中断が少ない人ほど配置しやすいと考えられています。その柔軟性を評価することには企業内部の合理性がありますが、多くの組織が同じ条件を高く評価すれば、家庭を持つ人ほど職業上の制約を受けやすい社会になるという可能性があります。

短期的には、そのような人事制度を採用した企業が効率を高めても、家庭形成が難しくなり、将来の労働者や消費者が減れば、その企業自身が存在する市場も縮小します。ただし、その損失は二十年後や三十年後に現れるため、今日の一企業の会計にはほとんど反映されません。

ここでは、費用と便益だけではなく時間軸も異なっています。企業は今期や数年先の競争へ対応しなければなりませんが、家庭が子どもを育て、その子どもが社会を支えるまでには二十年前後の時間が必要です。

この問題を「企業にもっと思いやりを持ってほしい」という倫理だけへ還元しても解決しにくいでしょう。一社だけが家庭への配慮を大きく増やし、そのために短期的な配置効率やコスト面で競争相手より不利になるなら、企業の善意だけでは持続しにくいからです。

家庭と企業のどちらが正しいかを決めることが目的ではありません。それぞれが自分の立場では合理的に動いた結果、社会全体では次世代を育てる負担が家庭へ偏るなら、そのずれを調整する役割は社会制度にもあります。

転勤制度は企業中心社会を象徴している

転勤は、この合理性のずれを分かりやすく示します。JILPTの調査では、転勤経験を踏まえて困難に感じることについて、「結婚しづらい」が29.3%、「子供を持ちづらい」が32.4%、「育児がしづらい」が53.2%、「持ち家を所有しづらい」が68.1%となっています。

企業から見れば、全国の拠点へ配置できる社員には大きな価値があります。欠員、新規事業、組織再編へ柔軟に対応できるため、勤務地を限定しない働き方へ高い給与や昇進機会を与えることにも、企業内部では合理的な理由があります。

しかし家庭から見ると、一人の転勤は家族全体の生活再編です。配偶者にも勤務先があり、子どもには学校や友人関係があり、近くの親族から育児支援を受け、住宅を購入している場合には、転居は本人だけの問題では済みません。

転勤へ応じれば、配偶者が仕事を辞めたり、単身赴任によって残った側へ家事や育児が集中したりする可能性があります。反対に勤務地を限定すれば、評価や昇進へ影響するのではないかと不安になり、家庭側からは「家族を企業都合へ合わせられる人ほど高く評価される制度」に見えることもあるでしょう。

共働きが一般化するほど、「一人の社員を自由に移動させたい企業」と「二人の仕事を維持したい家庭」の摩擦は大きくなります。転勤が出生数をどの程度変えているかは別途検証が必要ですが、家族を持つことで職業上の自由度が失われると感じることが、結婚や出産への不安材料になるという可能性があります。

転勤手当を増やせばすべて解決する問題でもありません。家庭にとって失われるものが、配偶者の職歴、地域の人間関係、子どもの学校生活、親族からの支援などであるなら、金銭だけでは埋められない負担もあります。

結婚しづらい 子供を持ちづらい 育児がしづらい 持ち家を所有しづらい
29.3% 32.4% 53.2% 68.1%

出産による中断は単なる休業ではない

出産期のキャリアについて考えるとき、休んでいる一年間の所得だけを見るのでは足りません。ただし、ここで参考になる2024年版労働経済白書の分析は、出産経験の有無を比較したものではなく、大卒女性について、新卒から同一企業へ勤め続ける標準労働者と、それ以外のフルタイム労働者を比較した分析です。

同白書では、40歳以降に両群の賃金差がみられ始め、おおむね55~59歳で最大になるとされています。この資料から「出産すると将来の賃金が下がる」と結論付けることはできませんが、継続勤務から外れた後のキャリアと所得が長期的に異なり得ることを考える材料にはなります。

企業では、本人が自由に成果の規模を決められません。重要案件を担当するか、どれだけの予算を持つか、部下を持つか、どの顧客を任されるかといった「成果を出すための舞台」は、組織によって配分されます。

ある人が出産や育児によって一定期間仕事を離れ、その間に同じ年次の人が重要案件を経験したとします。復帰した本人の能力が以前と変わっていなくても、「大きな案件の経験が少ない」という履歴を理由に次の担当が小さくなり、その担当実績がさらに次の役割配分へ影響すれば、最初は一時的だった経験差が長期化するという可能性があります。

本人へ「復帰してから成果を出せばよい」と説明しても、成果を出せる仕事そのものを企業が決めているなら、本人の努力だけでは埋められない部分があります。休める制度、職場へ戻れる制度、復帰した後にもう一度大きな仕事へ挑戦できる制度は、それぞれ別の問題です。

年功序列が弱まっても履歴の影響は消えない

日本企業では年功序列が弱まり、成果や職務を重視する企業も増えています。それでも、大規模な組織では一人ひとりの能力を完全に直接測ることは難しく、担当してきた仕事、職務経験、過去の評価、役職などを材料に次の配置を決める場面があります。

その場合、「能力を評価している」と説明していても、その能力を証明できる仕事を誰が与えられたかによって差が生まれます。一度キャリアを中断した人は、能力そのものを失ったのではなく、能力を証明する機会を失っていることもあるでしょう。

その状態で「成果を出せば追いつける」と言われても、担当できる案件の規模が限定されていれば追いつくことは簡単ではありません。企業内では、本人が頑張れるかだけではなく、頑張った結果を示せる舞台へ再び入れるかも重要になります。

育児休業制度を整えることは必要です。それでも、復帰した後に役割を再び広げられる仕組みまでなければ、出産や育児に伴う長期的なキャリア不安は残るでしょう。

出産期の不安は休業中の収入だけではなく、復帰した後にもう一度キャリアを加速できるかという不安でもあります。

企業勤務は若い時期に強く人生全体では硬さもある

企業勤務には大きな利点があります。定期的に給与が支払われ、社会保険や税務の多くを勤務先が処理し、営業、経理、法務、人事などの機能を組織内部で補完してくれるため、若い人は事業全体を一人で背負わず、自分の専門領域へ集中できます。

大規模設備、研究開発、教育訓練、組織としての信用、複雑な分業など、個人では持ちにくい機能を企業が提供する価値も非常に大きいでしょう。だから、本稿が考えているのは企業勤務の否定でも、自営業への全面的な移行でもありません。

問題は、その働き方が人生のすべての時期へ同じように適しているかどうかです。20代や30代には転勤や繁忙期へ対応できた人でも、40代以降には子どもの進学、親の介護、自身の健康など別の事情が増え、60代や70代には若いころと同じ仕事量を望まない人もいます。

人間の働ける量は、100から突然0へ変わるわけではありません。育児中には六割、病気からの回復中には三割、高齢期には週二日というように変わっても、企業の仕事は一定の責任、労働時間、同僚との連携を含む役割として設計されるため、その人が働ける量にぴったり合わせて仕事を縮小できるとは限りません。

若い時期には会社の分業が本人を助けますが、人生後半になると、その分業の中で決められた役割へ自分の生活を合わせなければならない硬さも現れます。企業勤務は強い仕組みですが、強いからこそ社会のほとんどを一つの形へ寄せてよいとは限りません。

企業勤務は人生の前半から中盤を支えることには強くても、人間の生活が変化する速度へ常に合わせられる仕組みではありません。

人間の働ける量は、100から突然0へ変わるわけではありません。 育児中には六割 病気からの回復中には 三割 高齢期には週二日

中高年では企業内の役割数という限界が見える

企業は多数の担当者を雇えても、その全員へ管理職や高報酬の高度専門職を用意することはできません。組織自体が大きく成長していれば新しい部署やポストも生まれますが、成長が弱い環境では、本人の能力とは別に上位の役割数という制約が表れます。

人事院が2024年9月30日に公表した2023年実施の「令和5年民間企業の勤務条件制度等調査」では、事務・技術関係職種の従業員がいる企業のうち、役職定年制がある企業は規模計で16.7%、500人以上では27.6%でした。役職定年年齢については、部長級と課長級のいずれも55歳とする企業の割合が最も高くなっています。

これは、中高年全体の所得低下や雇用不安を直接示す数字ではありません。役職定年制を持つ企業が一定数存在し、組織内部で年齢に応じた役割変更を制度化している例として見るのが適切です。

ある人が20代から会社の要望へ応え、異動や繁忙期にも対応し、家庭との時間を調整しながら働いてきたとしても、50代になったときに「今後は別の役割を考えてほしい」と言われれば戸惑います。長年会社の中で評価される能力を磨くことへ時間を使ったからこそ、外へ出た後に何を誰へ売れば生活になるのか分からないという問題も生まれます。

しかも、この時期は子どもの高校や大学進学などによって家庭の支出が大きくなりやすい年代とも重なります。家計では所得を必要としている一方で、本人は「ここから先は今までと同じようには収入が伸びないかもしれない」と感じ始め、その状況から将来所得への安心が弱まる可能性は理解できます。

若い社員から見ても、会社に長く残れば必ず役割や所得が伸び続けるわけではないことは、職場の日常から見える場合があります。その姿が若年期の家族形成へ直接影響するかは未検証ですが、企業だけへ長期生活を預けることに慎重になる材料になる可能性はあります。

企業で長く働いても企業外で稼ぐ準備は別に必要になる

大きな企業ほど分業が進んでいるため、長く勤務した経験がそのまま一人で事業を動かす能力になるわけではありません。営業担当者は顧客との交渉へ詳しくても、税務、会計、契約、価格設定、資金繰りを経験していない場合があり、技術者は高度な専門性を持っていても、自分で顧客を探して代金を回収した経験が乏しいことがあります。

これは会社員としての能力が低いからではなく、企業という分業組織が優れているからこそ生じる問題です。企業では別部署が不足する機能を補ってくれるため、一人の社員が事業全体を理解していなくても、高度な仕事へ集中できます。

ところが会社を離れた瞬間、これまで会社が担当していた営業、契約、請求、会計、広告、信用などが、一度に本人の問題として戻ってきます。ある会社で高く評価されていた50歳の人でも、「自分の専門性を誰が買ってくれるのか」「いくらで売れば生活できるのか」が分からず、外へ出ることをためらう理由があります。

企業は社員を将来の独立事業者にするための組織ではありません。だから中高年の問題を「社内に役割がなければ独立すればよい」と片付けるのではなく、会社で働いている間にも、企業外で自分の技能がどのような価値を持つのかを小さく確かめられる環境が必要になります。

問題は雇用者が多いことより退出先が細いこと

2025年平均の就業者は6,828万人で、そのうち雇用者は6,185万人となり、就業者に占める割合は90.6%でした。一方、自営業主と家族従業者は614万人となっています。

ただし、ここでいう「雇用者」を民間企業の会社員と読み替えることはできません。会社や団体だけでなく、官公庁などに雇われている人や役員も含まれるため、90.6%という数字は「企業で働いている人の割合」ではなく、誰かに雇われて働く形が就業の非常に大きな部分を占めることを示す数字として読む必要があります。

1995年に示される75.3%という「雇用者」は役員を除く区分であるため、2025年の役員を含む6,185万人と直接比較することもできません。役員を含む同等に近い区分でみると、1995年国勢調査では雇用者・役員が約5,207.6万人、就業者が約6,414.2万人で約81.2%ですが、国勢調査と労働力調査という別統計である点にも注意が必要です。

さらに、自営業主と家族従業者は長期的に大きく減少しています。1970年代から1980年代初頭には約2,000万人規模だったのに対し、2025年平均では614万人となっていますが、長期比較では分類や統計上の違いにも注意して読む必要があります。

この変化だけを使って、「自営業が減ったから少子化になった」と結論付けることはできません。しかし、企業や組織に雇われる以外の所得形成が、社会の中で相対的に細くなってきた背景を考える材料にはなります。

高度成長期にも雇用者は増えましたが、その時代には経済と企業が成長し、人材を集めるために賃金や福利厚生を改善する余地がありました。したがって、「雇用者が増えたから生活が苦しくなった」と単純に考えることはできません。

重要なのは、会社を辞めても次に行く場所が別の会社しかない状態になっていないかという点です。選択肢が「企業で働くかどうか」ではなく「どの企業で働くか」だけになり、企業という働き方そのものから離れても生活できる経路が少なければ、一つの勤務先との関係が悪化しても退出しにくくなります。

企業中心社会を考えるときに本当に見るべきなのは、雇用者の割合だけではありません。企業外でも生活できる経路がどれだけ残され、その経路へ移るための費用がどれほど大きいのかという問題です。

就業者 雇用者 自営業主と家族従業者
6,828万人 6,185万人、90.6% 614万人

非正規雇用が企業中心社会の調整弁になりやすい

企業や組織が社会の多くの人を雇うようになっても、すべての仕事を同じ条件へ揃えることはできません。企業には利益や需要変動の制約があり、補助的な業務や仕事量が変動しやすい領域を、非正規雇用など異なる条件へ切り分けることには企業側の合理性があります。

しかし、一度その位置へ入った人が、何歳になっても同じ条件で正社員へ移れるわけではありません。JILPTの研究では、30歳以降になると非正規雇用から正社員への転換が起こりにくくなることは否めないと整理される一方、高い年齢でも資格取得などによって転換確率を高められる可能性が示されています。

25歳なら職歴が短くても「これから育てる人」として採用される余地がありますが、35歳や40歳になれば、同年代で十年以上の職務経験を積んだ人と比較され、採用側が期待する技能や実績も厚くなるでしょう。本人が年齢を重ねるだけでなく、その年齢で要求される履歴まで同時に増えていくため、一度標準的な企業キャリアから外れた人ほど後から戻る負担が大きくなるという可能性があります。

企業側から見れば、正社員だけでは吸収しにくい仕事を別の雇用形態で担ってもらうことに合理性があります。本人から見ても、自営を始めるより低い初期コストで収入を得られるという利点があります。

問題は、その経路が一時的な受け皿ではなく、そこから抜け出しにくい状態へ変わる場合です。企業中心社会の中で非正規雇用が調整弁として必要になる一方、その調整弁へ入った人に負担が固定されるなら、社会全体としては長期的な不安定さが残ります。

正社員へ戻ることだけを成功にしない

企業キャリアから外れた人について、「再び正社員へ戻れたか」だけを成功の基準にすると、企業や組織に雇われることを唯一の経済的な正解としてしまいます。本当に必要なのは元の経路へ完全に戻ることだけではなく、別の道からでも暮らしを組み直せることではないでしょうか。

育児のために企業勤務を減らした人が、地域向けの小さな仕事を始めても構いません。非正規雇用を続けながら自分の専門サービスを少しずつ販売し、勤務先から得る収入への依存を徐々に下げる方法もあり、中高年になって企業内部の役割が狭くなった人が、それまでの専門性を使って少人数の仕事を始める道もあります。

必要なのは、企業から別企業へ移るだけの労働市場ではありません。企業勤務、自営、複業、小規模法人、地域事業などを人生の事情に応じて行き来でき、ある働き方でつまずいても経済生活そのものが終わらない経済圏です。

この性質を整理する補助的な言葉として、本稿では「所得経路の可逆性」と呼ぶことができます。一つの働き方から外れても、雇用へ戻り、別の仕事へ移り、複数の所得源を組み合わせ、仕事量を減らした後に再び増やしながら生活を立て直せる程度を指します。

ただし、この言葉を記事全体の主役にはしません。本稿の中心は企業中心社会の人生周期上の強みと弱みを考えることであり、所得経路の可逆性は、その外側にどれだけ生活を立て直す経路があるかを説明するための補助概念です。

小商いは人生の変化を吸収する中間領域になる

昔の個人商店や小規模な自営は、大企業ほど高い所得を生まなかった場合もあります。それでも、人間の生活へ仕事の規模を合わせやすく、働ける量が変化しても所得を完全なゼロへしないという別の強みがありました。

ある家庭では畑で採れた野菜を市場へ持っていき、別の人は自宅の一部で修理や販売を行い、年齢や家庭事情に応じて営業時間を変えます。若いうちは多く働き、育児中には受注を減らし、子どもが成長したら再び仕事量を増やし、高齢になれば常連客だけを相手に週数日続けることもできます。

所得を最大化する仕組みではありませんが、人間の働ける量が100から70、50、30と変わっても、その変化を収入へつなげられるところに意味があります。企業でも短時間勤務は可能ですが、一つの職務が一定の責任、勤務時間、同僚との連携を含む役割として設計される以上、本人の働ける量と仕事量を完全に一致させることは簡単ではありません。

人間の生活は、働けるか働けないかの二択ではありません。育児、介護、病気からの回復、加齢など、仕事量を一時的に落としたい時期が誰にでも起こり得ます。

小商いの価値は大企業の代わりになることではなく、働ける量が変わっても所得をゼロへ落とさない中間領域になれることです。

小さな商売が減ると独立までの距離が崖になる

小商いには、本格的な事業を始める前に小さく試せるという意味もあります。最初から生活費のすべてを稼ぐ必要はなく、まず数千円を売り、需要があれば月1万円、3万円、5万円へ増やしながら、価格設定、顧客対応、仕入れ、請求、売上管理を覚えられます。

うまくいかなければ、大きな借金や固定費を抱える前に止めることもできます。何もしていない状態と本格的な事業者との間に多くの中間段階があるほど、企業の外で所得を作る経験を低いリスクで積めます。

ところが、何かを売ろうとした瞬間に店舗、設備、許認可、税務、会計、決済、広告、契約などを本格事業と同じように準備しなければならないなら、まだ売上がない人ほど参入しにくくなります。一つひとつの制度に合理的な理由があっても、その固定的な負担が積み重なると、規模の小さい活動から先に成立しにくくなるでしょう。

年間数千万円を売る会社なら専門家へ依頼できる手続きでも、育児中の人が月3万円の所得を得たい場合や、高齢者が週二日だけ働きたい場合には、その固定費自体が「始めない」という判断につながる可能性があります。

安全、衛生、税、公平性、消費者保護など、それぞれの制度は必要です。しかし、制度ごとに見れば合理的な負担でも、それらをすべて同じ重さで小規模な活動へ課せば、結果として小さな経済活動だけが市場から退出するということも起こり得ます。

ここでも、個々の制度は合理的でも、その合計が社会全体の選択肢を狭めるという問題が現れます。独立が一段ずつ登れる階段ではなく、十分な資金と経験を持つ人だけが飛び越えられる崖になれば、企業の外へ出られる人は限られてしまいます。

数千円 月1万円 3万円 5万円
最初から生活費のすべてを稼ぐ必要はなく、まず数千円を売り、需要があれば月1万円、3万円、5万円へ増やしながら、価格設定、顧客対応、仕入れ、請求、売上管理を覚えられます。

商売できる場所も経済インフラになる

小規模な仕事を増やすには、能力や資金だけでなく、それを顧客へ届ける場所も必要です。かつての朝市や地域市場は、常設店舗を借りられない人でも少量の商品を現金化し、地域の需要を直接確かめられる場所でした。

現在では道路や公共空間を使うために、安全、衛生、交通、近隣環境などを守るルールがあります。それぞれに理由があり、「以前はどこでも自由に売れたのに現在はすべて禁止された」と考えるのは適切ではありません。

国土交通省の「ほこみち」のように、一定の条件のもとで屋台やオープンカフェなどへ道路空間を活用する仕組みもあります。こうした制度の存在は、公共空間と経済活動を完全に切り離さず、安全性や公平性を保ちながら接続する余地があることを示しています。

ただし、「場所を開放すれば小商いが増える」という政策効果が確認されているわけではありません。それでも駅前広場、公園、公共施設、商店街などへ、低い費用で試せる場所を用意することは、育児中の人、中高年、高齢者が少額の仕事を始める入口として検討できます。

街のにぎわいづくりだけではなく、人生の各段階で残っている労働能力を所得へ変える場所として公共空間を見ると、都市政策と雇用政策の間にも新しい接点が生まれるのではないでしょうか。

高齢期に少し働けることが重要になる

老後不安を考えるとき、年金の給付額だけを見るのでは足りません。なぜ高齢になると公的所得や貯蓄への依存が強くなるのかを考えると、企業という仕組みが「少しだけ働くこと」を必ずしも得意としていない問題が見えてきます。

70歳になり、若いころの三割程度だけ働きたい人がいても、企業がその人の能力へ合わせてちょうど三割分の仕事を用意できるとは限りません。週二日働く人にも管理、連絡、設備、教育などの固定費が必要になるため、企業から見れば一つの役割をまとまった労働時間で任せるほうが効率的な場合があります。

内閣府の令和6年度「高齢者の経済生活に関する調査」では、現在収入を伴う仕事をしている回答者935人のうち、パート・アルバイトが33.4%、自営業主・個人事業主・フリーランス等が22.5%、正社員が15.0%でした。また、現在働いている主な理由では「収入のため」が55.1%となっており、現在の仕事を決めた理由では「自分の経験やスキルが生かせる」が41.5%です。

これらは高齢者全体に占める割合ではなく、現在収入を伴う仕事をしている回答者の内訳です。ここから自営のほうが高齢者に適していると結論付けることはできませんが、高齢期には現役期と同じ正社員勤務以外の働き方も一定の役割を持っていることが分かります。

小さな商売なら、店を毎日開ける必要はなく、扱う商品を減らし、常連客だけを相手に週数日続けることもできます。自営には売上変動、病気による収入減、社会保障や信用の問題など別のリスクがありますが、仕事量を本人の体力へ合わせて縮めやすい点には企業雇用とは違う特徴があります。

年300万円を稼げなくても、たとえば年50万円や100万円程度を無理のない範囲で得られれば、収入が完全にない場合とは貯蓄の取り崩し方が変わります。この金額は制度上の基準ではなく、少額の所得にも家計上の意味があることを示す例です。

働けない人へ就労を求めるべきではありません。一方で、まだ働きたい人まで「フルタイムで働くか完全に引退するか」という二択へ押し込む必要もないでしょう。

人生後半に少額でも所得を作れる経路があれば、公的年金を不要にできるという話ではありません。年金に加えて本人が無理のない範囲で所得を得られることが、老後の選択肢を増やすという意味です。

パート・アルバイト 自営業主・個人事業主・フリーランス等 正社員
33.4% 22.5% 15.0%

老後不安が現役期の貯蓄へ戻ってくる

高齢期に自分で所得を作れる見通しが弱ければ、現役世代が老後資金を厚く準備しようとするのは合理的です。内閣府の分析では、世帯主年齢が20~59歳の二人以上世帯を対象とし、自営業世帯を除いた推計で、老後を「多少心配」または「非常に心配」とする世帯は、そうでない世帯より貯蓄率が約0.5%ポイント高いことが示唆されています。

ここで自営業世帯が対象から除外されていることは重要です。この結果から「自営なら老後不安が小さくなる」と考えることはできず、直接確認できるのは、対象となった世帯において老後不安と現在の貯蓄行動が関連しているというところまでです。

30代や40代は、住宅費や教育費も大きくなりやすい時期でしょう。第一子の教育費を負担しながら第二子の将来費用を考え、同時に自分たちの老後資金まで積み立てなければならないなら、「もう一人欲しい」という気持ちがあっても、現在使える所得には限りがあります。

以前の家族経営では、子どもが家業へ参加し、老後の生活を家族の中で支え合う期待を持てる場合もありました。現在は、子どもが別の会社や地域で働くことが普通であり、親が老後を子どもへ過度に依存しないことも大切なので、家庭は子どもの教育費と自分たちの老後費用を別々に準備しようとします。

老後不安から貯蓄が増え、その貯蓄が教育費や住宅費と競合し、最終的に子どもの人数へ影響するという一連の因果関係まで確認されているわけではありません。それでも、老後の安心と現役期の家族形成が同じ家計の時間軸でつながるという可能性は検討できます。

少子化政策と年金政策を完全に別々の問題として扱うだけでは、この時間的なつながりは見えにくくなります。

中高年と高齢者の姿が若い世代の将来像になる可能性

若い世代が身近な中高年や高齢者の働き方を観察し、その観察によって結婚や出生判断を変えているという経路は、今回確認した研究では直接検証されていません。ESRIの研究で確認されているのは、本人が認識する将来の失業リスクなどと結婚意欲との関連であり、そのリスク認識が何によって形成されたのかまでは特定されていないためです。

それでも、人が自分の20年後や30年後を想像するとき、職場の40代や50代がどのような役割を与えられているのか、会社を離れた人がその後どの程度所得を回復できているのか、親世代が定年後にどのように生活しているのかは、将来像を作る材料になる可能性があります。

ある若い社員が、長年会社へ貢献してきた50代の先輩が役割を失い、退職後に「会社の外で何を仕事にすればよいか分からない」と悩んでいる姿を見れば、自分自身の将来を重ねることがあるでしょう。今の給与が悪くなくても、「自分も二十年後には同じ場所へ行くかもしれない」と考えれば、住宅ローンや教育費のような長期固定支出へ慎重になることには理由があります。

若者が過度に悲観的だから守りへ入るとは限りません。身近に見える制度と、そこで年齢を重ねた人の姿から、自分の将来を推測しているだけという可能性もあります。

20代から老後まで続く循環を統合仮説として考える

ここまでの問題を一人の人生として並べると、本稿が考えている長期的な循環が見えてきます。若い時期には将来の雇用や所得を心配し、家庭形成期には出産や育児による企業内キャリアの中断を恐れ、中高年になるとポスト不足や企業外へ移る難しさが表面化し、高齢期には働ける量そのものが減っていきます。

企業の外で少しずつ所得を作る経路が細ければ、高齢期には年金と貯蓄へ大きく依存するしかないと考え、現役期から老後資金を厚く準備しようとするでしょう。その資金が教育費や住宅費と同じ家計で競合すれば、現在の家族形成へ使える余力にも影響するという可能性があります。

つまり本稿では、20代の雇用不安から出産期のキャリア不安へ進み、中高年の役割と再参入の問題を経て、高齢期の所得不安と防衛的貯蓄へつながり、その負担が再び若い時期の家族形成へ戻るという循環を考えています。

この循環全体が、一つの研究によって因果モデルとして実証されているわけではありません。将来の失業リスクと結婚意欲、継続勤務歴と後年の賃金差、年齢と正社員転換、高齢期の就業形態、老後不安と貯蓄行動などには個別の資料がありますが、それらを企業中心社会の人生周期として接続する部分は本稿独自の統合仮説です。

本稿が証明しようとしているのは「企業中心社会こそ少子化の原因だ」という単純な歴史的因果ではありません。現在の所得だけでなく、企業に所属し続けられなくなった後にも暮らしを組み直せるという期待を、少子化を考える際の一つの視点へ加えるべきではないかという問いです。

20代の雇用不安 出産期のキャリア不安 中高年の役割と再参入の問題 高齢期の所得不安と防衛的貯蓄 若い時期の家族形成

AIは小さな事業の分業不足を補える可能性がある

小さな事業は仕事量を調整しやすい一方、営業、経理、請求、広告、資料作成、顧客対応などを一人で処理しなければならない弱点があります。本業に十分な技能があっても、「その周辺業務まで自分でやるのは難しい」と感じ、独立や副業を諦める人がいても不思議ではありません。

大企業が強い理由の一つは、こうした負担を分業で吸収できることです。技術者は技術へ集中し、営業担当者は営業へ専念し、経理や法務は別部署が支えるため、一人の社員が事業全体を理解していなくても高度な仕事が成立します。

2026年版中小企業白書・小規模企業白書では、中小企業や小規模事業者によるAI活用が取り上げられています。AIの利用は、バックオフィス、営業、販売、顧客対応などにも広がっていますが、ここから「AIを導入すれば個人事業者の所得が増える」とまで結論付けることはできません。

顧客を得ること、信用を築くこと、価格を決めること、実際に価値を提供することは残ります。それでも、文章作成、情報整理、商品説明、顧客への返信、簡単な販促などの周辺業務を少人数でも処理しやすくなれば、企業内部の分業がなければ難しかった活動の一部を個人でも担える可能性があります。

AIを大企業の人員削減や効率化だけに使うのではなく、企業外で小さな事業を行う人が不足する補助機能を低いコストで調達するための技術として見る視点も必要でしょう。

企業外へ出られる人が増えると企業内部の条件も変わり得る

全員が独立する必要はありません。重要なのは、現在の勤務条件が生活と合わなくなったとき、「ここを辞めたら所得がほぼゼロになる」という状態以外の選択肢を一定数の人が持つことです。

企業にとって人材流出はコストになります。家庭との両立が難しい勤務地制度が残り、能力に対して賃金が低く、中高年以降の働き方にも展望がなければ、企業の外でも生活できる人ほど、その勤務先へ残る必要性は低くなるでしょう。

反対に、企業を離れた瞬間に生活が成り立たなくなる社会では、待遇や勤務条件に不満があっても辞めにくくなります。企業外の経済圏が厚くなることは、そこへ実際に移る人だけでなく、企業へ残る人の外部選択肢を増やし、勤務先への依存度を小さくするという可能性があります。

たとえば勤務先以外に月数万円の収入があれば、その人がただちに会社を辞められるわけではありません。それでも、勤務先だけに所得を完全に依存するリスクを小さくできる可能性があり、さらに企業外で仕事を作った経験そのものが、将来の退出可能性を高めることも考えられます。

ただし、少額の副収入が労働者の交渉力をどの程度高め、企業が賃金、勤務地、労働時間、キャリア制度をどれほど変更するのかという因果効果は、今回確認した資料から数量的には分かりません。ここでは、退出後の選択肢が現実的になるほど一つの勤務先だけへ所得を依存する必要が小さくなる、という制度上の仮説として扱います。

企業外の経済圏を厚くすることは、独立する人だけの政策ではなく、企業に残る人の選択肢にも関係するという可能性があります。

最低賃金という床と企業外へ出られる出口

低賃金から生活を守るために、最低賃金には重要な役割があります。個々の労働者の交渉力が弱くても、一定以下の賃金まで条件を下げないための共通の床になるからです。

一方で、最低賃金だけでは別の所得経路そのものは生まれません。最低賃金が現在の雇用関係の中で条件が下がりすぎないよう守る仕組みであるなら、転職、自営、複業、小商いなどは、現在の関係が合わないときに別の道へ移る出口として異なる役割を持ちます。

最低賃金の引き上げが雇用へ与える影響は、地域、業種、引き上げ幅などによって異なるため、「上げれば必ず雇用が減る」「上げても何の影響もない」と一方向へ単純化するべきではありません。企業へ一定の賃金下限を求めながら、その条件で働き続けられない人には別の所得経路を増やすという二つの方向を同時に考える必要があります。

最低賃金が生活を守る床なら、企業外経済は退出後の出口です。床だけでも出口だけでも、人生全体の不安を支えるには足りません。

最低賃金 企業外経済
生活を守る床 退出後の出口

行政にも企業雇用を中心にしたくなる合理性がある

企業や組織に雇われている人は、行政から見ると所得を把握しやすい存在です。給与から税や社会保険料を処理でき、年末調整など多くの事務を勤務先が担うため、制度が給与所得者と相性よく発達することには合理的な理由があります。

一方、自営や複業では、売上、必要経費、帳簿、申告などの処理が必要になり、本人にも行政にも管理コストが生じます。だから会社員と事業者の制度が完全に同じではないことを、そのまま不公平と評価することはできません。

しかし、短期的な徴税や管理のしやすさだけを優先し続けると、企業から外れた瞬間に税務、社会保険、行政手続、住宅や融資の信用などで大きな摩擦が生じる可能性があります。その摩擦が大きければ、本人に企業外で使える技能があっても、生活基盤を失うことを恐れて移れません。

行政にとって企業雇用が管理しやすいという合理性、企業にとって配置しやすい人を評価したいという合理性、家庭にとって安定した所得を失いたくないという合理性は、それぞれ理解できます。しかし三者がそのまま自分の合理性を追えば、生活の安定を維持するために組織へ所属し続けることが必要になり、出産、中高年、高齢期の変化を本人が吸収しなければならない社会になりかねません。

今年の税や社会保険料を効率よく集められる制度が、三十年後にも社会全体として効率的なのかは別の問題です。もし管理しやすい働き方へ人を集中させた結果、家庭形成の負担や企業外へ移るコストが大きくなり、将来の納税者となる世代が減るなら、短期的な管理効率と長期的な社会の持続性を分けて考える必要があります。

国が考えるべきなのは、自営を会社員より特別に優遇することではないでしょう。企業勤務、自営、複業、短時間就業などの間を移ったとき、働き方が変わったという理由だけで生活基盤が必要以上に壊れない制度を整えることです。

高度成長期に成功した仕組みが現在も最適とは限らない

企業中心の社会が最初から間違っていたわけではありません。戦後の経済成長期には企業部門が拡大し、人材需要が増え、企業の中にも新しい部署や役割が生まれ、賃金や福利厚生の改善と家庭の生活水準の向上が比較的同じ方向を向きやすい時期がありました。

企業が人を必要としている時代には、「農業や家業を続けるより、この企業で働いたほうが生活が良くなる」と示すことが、人材を集めるうえで企業側にも必要だったと考えられています。企業の成長と個人の生活向上が同じ方向へ進むなら、企業へ長期間所属することにも強い合理性があります。

当時は企業が成長することで新しい役割も生まれ、社員の賃金が上がることで、企業制度に多少の硬さがあっても家計側がその負担を吸収しやすかったでしょう。生活を企業へ合わせる代わりに、将来は現在より豊かになるという期待を持ちやすい環境でもありました。

ところが、経済成長が弱くなり、企業が全員の賃金や役割を継続的に広げにくくなると、その前提は変わります。それでも生活の安定が企業勤務へ強く結び付いたままなら、「会社へ依存しなければ暮らせないのに、会社へ依存しても将来の所得上昇は保証されない」という状態が生まれるという可能性があります。

成長している時代なら、制度に多少の硬さがあっても賃金上昇というクッションによって吸収できた部分があるでしょう。低成長になると、そのクッションが弱まり、家庭への負担、非正規雇用、中高年の役割不足、高齢期の所得不安といった問題が見えやすくなります。

成功した仕組みが長く残ることと、人口減少、共働き、高齢化、低成長という現在の条件でも最適であることは同じではありません。

人を集めることと社会を再生産することは同じではない

歴史人口学では、江戸のような近世都市について、独身男性の多さ、低い出生力、都市と農村との人口移動などが論じられ、都市人口を維持するうえで農村からの人口還流が重要だったという分析があります。

もちろん、江戸時代と現在では、死亡率、衛生、医療、婚姻制度、労働関係などが大きく異なります。江戸の人口構造から現在の少子化を直接説明することはできません。

それでも、仕事を求めて人が集まる場所と、その社会内部で次の世代が育つ場所が一致するとは限らないという歴史的な視点は参考になります。現在も地方から都市へ若い人を集めたり、海外から不足する労働力を受け入れたりすることは、人手不足への対応として意味がありますが、それだけで家族を形成しやすい社会になったことにはなりません。

送り出す地域そのものでも出生数が減り、世界的に出生率が低下するなら、外部から人を補い続けることだけには限界があります。「不足する人をどこから連れてくるか」という問いと、「人がその社会の中で働きながら家庭を作り、次の世代を育てられるか」という問いは、似ているようで異なります。

都市に人が集まり企業へ人材が供給され続けることと、その都市や社会の中で人が長期的に暮らし、家庭を作り、次の世代を育てられることは同義ではありません。人の移動によって短期的な不足を補えることと、社会内部で人口を再生産できることを分けて考える必要があります。

不足する人をどこから 連れてくるか 人がその社会の中で働きながら 家庭を作り、次の世代を 育てられるか
「不足する人をどこから連れてくるか」という問いと、「人がその社会の中で働きながら家庭を作り、次の世代を育てられるか」という問いは、似ているようで異なります。

企業の永続と社会の永続では時間軸が違う

企業は長期的な存続を目指しますが、その企業が数十年先にも活動するためには、労働者、消費者、技術者、経営者、取引先が次の世代にも存在しなければなりません。自動化、海外展開、外国人材、事業再編によって人口減少へ対応できる企業はありますが、社会全体の人口が長期的に縮小し続ける中で、企業だけが社会から独立して永続できるわけではないでしょう。

ここには、企業理念と日々の意思決定の時間軸の違いがあります。百年続く企業を目指していても、現実の経営では年度利益、数年間の投資計画、現在の競争相手への対応が必要であり、二十年後や五十年後の出生数減少による損失は、今日の一企業の会計にはほとんど現れません。

そのため、企業へ「将来の人口のために現在の競争力を犠牲にしてほしい」と求めることには限界があります。企業が社会全体に必要な負担を自発的にすべて負えば、同じ負担をしない競争相手との関係で不利になる場合があるからです。

企業の現在の生産性と、家庭、人材、技能、地域、社会保障を次の世代へつなぐ社会の再生産は、重なる部分があっても同じではありません。個別企業へ長期的な人口維持を任せられないからこそ、社会全体の時間軸を政策へ組み込む必要が出てきます。

自由競争には家庭へ負担を押し出しすぎない共通条件が必要になる

自由競争は、企業が何をしてもよい状態ではありません。環境汚染を放置する企業ほど安く生産できるなら、環境対策をする企業だけが不利になるため、社会は共通の環境規制を設け、労働安全や最低賃金についても一定の共通条件を用意しています。

家庭生活についても同じ構造を考える余地があります。転勤へいつでも応じられる人だけを高く評価し、育児や介護による時間制約を持つ人のキャリアを大きく下げ、家庭側へ調整費用を押し出す企業ほど短期的に配置を効率化できるなら、家庭との両立へ配慮する企業だけが競争上不利になるという可能性があります。

だから、企業へ善意だけを求めても変化は進みにくいでしょう。一社だけが家庭への配慮を強めれば、そのコストを負担しない企業との競争で不利になるなら、どこまでを企業の自由へ任せ、どこからを社会共通の条件とするかを決める必要があります。

とはいえ、すべてを規制だけで解決しようとすれば企業活動の柔軟性を損なうおそれもあります。最低限の共通ルールによって家庭へ負担を押し出しすぎないようにしながら、同時に企業の外へ出ても生活できる経済圏を厚くするという二方向を組み合わせることが、元の問題を一方だけへ押し戻さない方法ではないでしょうか。

企業の自由を奪うことと、競争条件をそろえることは同じではありません。競争する企業すべてに一定の共通条件が適用されれば、家庭へ配慮する企業だけが一方的に不利になる状態を避けながら競争を続けることができます。

必要なのは負担のリバランス

ここまで見てきた問題の中心には、負担と便益の配分があります。家庭は出産、育児、教育、住宅、時間、キャリア中断、老後資金まで引き受け、その家庭が育てた人材は企業で働き、税を払い、社会保障を支えます。

だからといって、家庭が負担しているものをそのまま企業へ移せば解決するわけではありません。企業にも競争条件があり、すべてを一社の内部で吸収させれば、別の歪みが生まれる可能性があります。

必要なのは、企業へ単純に負担を移すことではなく、企業勤務だけが安定した所得を得るほぼ唯一の道になる社会そのものを見直すことです。会社員として働いてもよく、自分で小さな商売をしてもよく、両方を組み合わせてもよく、育児期には仕事量を落とし、高齢期には小さく働き続けることもできる社会へ、負担と選択肢をリバランスしていく必要があります。

人生の変化に合わせて所得を作る方法まで変えられるなら、一つの失敗や中断が人生全体を決める必要はありません。企業内部を改善する政策と、企業の外へ出ても生活できる経済圏を育てる政策は、対立するものではなく両方必要です。

社会の評価指標も人生全体へ広げる

働き方に関する政策の成果を、失業率、正社員数、大企業の賃上げ率だけで評価すると、企業中心社会の外側で何が起きているかを見落とす可能性があります。企業を離れた人が別の形で所得を作れているか、育児によって仕事量を減らした人がその後に再び増やせているか、中高年が会社外でも専門性を使えているか、高齢者が無理のない仕事量を選べているかという視点も必要です。

さらに、転職後に以前の所得へどの程度戻れたか、回復まで何年かかったか、働き方を変えたときに社会保険の空白が生じたか、勤務先以外の所得を少額でも持つ人がどれほどいるかといった指標も考えられます。所得経路の可逆性を政策評価へ使うなら、便利な言葉だけで終わらせず、こうした具体的な変化で確認する必要があります。

年間数十万円の収入は、国全体の経済規模から見れば小さく見えるでしょう。しかし、その所得によって何百万人もの人が「勤務先を失えば収入が完全にゼロになる」という状態から少し離れられるなら、本人の人生設計では意味が変わります。

社会の強さは、全員を一つの制度へ乗せることだけでは測れません。人生の状況が変わったとき、元の道へ戻ることもでき、戻れなくても別の道から生活を作れることも重要な評価軸になります。

「失敗しても元へ戻れる」ことに加えて、「元へ戻れなくても別の道で生活できる」と感じられるかどうかを見る必要があります。

所得経路の可逆性 雇用へ戻り 別の仕事へ移り 複数の所得源を組み合わせ 仕事量を減らした後に再び増やしながら 生活を立て直せる程度

個人の合理性と社会の責任を混同しない

企業、行政、社会保障の構造的な問題を、「個人が副業や資格で備えればよい」という自己防衛へ置き換えるべきではありません。社会制度が人を一つの雇用経路へ強く依存させているなら、その依存を小さくする責任まで個人だけへ移すことはできないからです。

一方で、現在の制度がすぐに変わらない以上、自分の生活が一つの勤務先へどの程度依存しているかを知ることには実務的な意味があります。今の会社を離れた場合に自分の職務経験を他社へどう説明できるのか、勤務時間を半分にしたら生活費をどう補うのか、70歳になったとき週二日だけ働くなら何ができるのかを考えると、自分の生活のどこが硬くなっているかが見えます。

答えが思いつかなくても、すぐに独立する必要はありません。転職市場で自分の経験がどのように評価されるかを見る、社外でも説明できる専門性を整理する、副業が可能なら生活を危険にさらさない規模で小さな仕事を試すといった方法で、まず現在の選択肢を知ることができます。

ここで大切なのは、「全員が企業外所得を持つべきだ」と考えないことです。制度の可逆性が十分に高い社会なら、誰もが将来不安から副業や独立準備をしなければならない必要はなく、個人へ求められる過大な自己防衛の大きさそのものが、社会の硬さを測る材料にもなります。

個人がどれほど準備しなければ安心できないのかを見ることは、本人の努力不足を測ることではありません。社会制度がどれほど一つの経路への依存を要求しているかを、自分の生活から確認する一つの方法です。

小さく始められる社会を作る

社会全体を一度に作り替えることはできません。それでも、小さな商売を始められる場所を増やし、少額の事業へ過大な固定負担を課さない仕組みを試し、その結果を確認することはできます。

自治体なら、地域市場や販売場所を用意した後に、単発のイベント参加者だけでなく、そこで経験を積んだ人が継続して所得を得られたかを見ることができます。企業であれば、副業制度を作っただけで終わらず、副業経験が本業の技能形成や離職後の選択肢にどう関係したかを確認する余地があります。

個人も、最初から生活費のすべてを企業外で稼ごうとする必要はありません。たとえば月1万円の仕事を一度成立させ、継続できるか、負担が大きすぎないか、自分の技能へ実際に需要があるかを見てから次の段階へ進めば、企業勤務から完全な独立へ一気に飛び降りる必要はありません。

やがて月1万円が3万円になり、5万円になる人もいるかもしれません。その金額だけで生活できなくても、「自分は会社の外でも誰かへ価値を提供し、対価を得られる」と知る経験には意味があります。

政策についても同じです。小規模な実証を行い、実際に所得を得る人が増えたのか、行政負担や周辺住民への影響はどうだったのかを確認しながら制度を調整すれば、理念だけで全国一律の大改革へ進む必要はありません。

大切なのは、小さく試し、その結果を見て修正できることです。政策も個人の働き方も、最初から一つの正解へ全面移行するのではなく、中間段階を増やすことで人生の変化を吸収しやすくなります。

少子化対策を人生設計の政策として捉え直す

第17回出生動向基本調査では、第1子出産前後の妻の就業継続率は2020~2024年に出産した層で80.5%となり、2015~2019年の69.9%から上昇しています。また、就業継続者の育児休業利用も82.4%となっており、前回の79.7%より高くなりました。

ここから直接確認できるのは、就業継続率と育児休業利用率が上昇したという観測事実です。この統計だけから、出産後のキャリア環境全体が因果的に改善したとも、中高年や老後まで含めた人生全体の将来不安が小さくなったとも評価することはできません。

保育、育児休業、子育て給付、教育費負担の軽減は必要です。しかし、出産後に重要な仕事へ戻れるのか、50歳で企業内部の役割が狭くなったときに別の所得を作れるのか、70歳になってフルタイムでは働けなくなった後にも少し働けるのかという見通しまで不安なら、家族形成に対する慎重さが残るという可能性があります。

それぞれの家庭が間違った判断をしているわけではありません。企業には競争上の合理性があり、行政には管理上の合理性があり、家庭には自分たちの生活を守ろうとする合理性があります。その一つひとつが理解できても、組み合わせた結果として次世代を育てる家庭へ時間、費用、キャリアリスクが集中するなら、社会全体では調整が必要です。

少子化対策を長い時間軸で考えるなら、「子どもが生まれた直後にいくら支援するか」だけではなく、「その親が50歳や70歳になった後にも生活を立て直せる社会か」というところまで視野へ入れる余地があります。

少子化は若者だけの問題ではありません。若い人がこれから通る中年期と高齢期まで含めた、人生全体の問題ではないでしょうか。

第1子出産前後の妻の就業継続率 就業継続者の育児休業利用
2020~2024年に出産した層で80.5% 82.4%
2015~2019年の69.9% 前回の79.7%

少子化と企業中心社会のよくある疑問

少子化と雇用不安には関係がありますか

将来の失業リスクと結婚意欲には統計的な関連が確認されていますが、雇用不安から実際の婚姻、さらに出生数の低下までを一本の因果関係として証明したものではありません。本稿では、現在の所得だけでなく、出産後、中高年、高齢期にも生活を維持したり所得を再構築したりできるという見通しが、家族形成を考える背景の一つになっているという可能性を検討しています。

将来の失業不安は結婚へ影響しますか

ESRIの研究では、男女とも5年後の失業リスクと結婚意欲の高低に関連があります。一方、所得不確実性に関するすべての分析で有意な結果が出ているわけではないため、「将来不安があれば結婚しなくなる」と単純化するのではなく、家族形成に関係する複数の要因の一つとして扱う必要があります。

出産によるキャリア中断は何年後まで影響しますか

今回引用した厚生労働省の分析から、「出産による影響が何年間続く」と判断することはできません。比較しているのは出産経験の有無ではなく、新卒から同一企業へ勤め続ける大卒女性と、それ以外の大卒女性フルタイム労働者であり、40歳以降に賃金差がみられ、おおむね55~59歳で最大になるという分析です。

本稿では、これを出産の因果効果を示す証拠としてではなく、継続勤務から外れた後の職務経験や役割配分が後年の所得と関係し得ることを考える材料として使っています。

転勤制度は共働き家庭へどのような影響がありますか

転勤は本人の勤務地だけでなく、配偶者の仕事、子どもの学校、親族からの育児支援、住宅、単身赴任による生活費などへ影響します。JILPTの調査でも、転勤によって結婚、子どもを持つこと、育児、持ち家取得などを難しいと感じる回答が一定割合確認されており、企業の配置問題が家庭では人生設計の問題になることが分かります。

なぜ中高年の雇用問題が少子化と関係するのですか

中高年の雇用問題が出生数を直接減らしているという因果関係が確認されているわけではありません。しかし、子どもを持つことは数十年続く生活設計なので、教育費が大きくなる40代や50代にも所得を維持できるのか、一度企業キャリアから外れても生活を作り直せるのかという見通しが、若い時期の長期支出への慎重さと関係するという可能性があります。

非正規雇用から正社員へ戻るのは年齢で難しくなりますか

JILPTは、30歳以降になると非正規雇用から正社員への転換が起こりにくくなることは否めないと整理しています。一方、高い年齢でも資格取得などによって正社員転換確率を高められる可能性が示されているため、年齢だけですべてが決まるわけではありません。

なぜ小商いが少子化の記事に出てくるのですか

小商いそのものが出生率を高めると確認されているからではありません。企業勤務では育児、介護、病気、加齢などによって働ける量が変わったとき、仕事を同じ割合で縮められない場合がありますが、小規模な仕事なら受注量や営業時間を調整し、所得を完全なゼロへしない経路になり得るため、人生全体の経済的な選択肢として扱っています。

自営業が減ったことと少子化には関係がありますか

自営業主や家族従業者の減少が少子化を引き起こしたという直接的な因果関係は確認されていません。本稿では、自営や小商いが細くなることで、企業外で少額所得を作ること、本格的な独立前に事業経験を積むこと、高齢期に仕事量を縮めながら働くことなどの経路も細くなる可能性があるという社会構造上の仮説として扱っています。

高齢者はどのような形で働いていますか

内閣府の調査では、現在収入を伴う仕事をしている回答者935人のうち、パート・アルバイトが33.4%、自営業主・個人事業主・フリーランス等が22.5%、正社員が15.0%でした。これは高齢者全体の割合ではなく、現在収入を伴う仕事をしている回答者の内訳であるため、高齢者全体の22.5%が自営であるという意味ではありません。

老後不安が子どもの人数へ影響する可能性はありますか

老後不安と現役期の貯蓄行動には関連が確認されていますが、その貯蓄増加が直接子どもの人数を減らすという因果関係は確認されていません。本稿では、教育費、住宅費、老後資金が同じ現役期の所得から支払われるため、防衛的な貯蓄と家族形成のための支出が競合する可能性を、人生全体をつなぐ仮説の一部として提示しています。

日本型雇用と少子化には関係がありますか

長期雇用、配置転換、企業内育成などを含む日本型雇用が、そのまま少子化を引き起こしたと確認されているわけではありません。企業内部で人材を育てる仕組みには大きな利点がある一方、企業内部で形成された経験が外部で評価されにくかったり、転勤や長時間勤務への対応が家庭形成と衝突したりする場合には、人生途中の選択肢を狭めるという可能性があります。

企業中心社会が少子化の原因なのですか

そのような単純な因果関係が実証されているわけではありません。企業や組織で働く仕組みには、分業、設備、教育訓練、安定した給与、社会保険など大きな利点がありますが、企業外へ移った後の所得経路が細ければ、出産や育児による中断、中高年の役割不足、高齢期の所得不安が大きな生活リスクになるという可能性があります。

本稿が問い直しているのは企業そのものではなく、企業や組織へ所属することと生活を維持することが強く結び付きすぎ、人生の変化に応じて働き方を変える余地が小さくなっていないかという点です。

まとめ

日本は戦後、企業や組織を中心とする働き方によって、大規模な生産、安定した給与、社会保険、教育訓練、専門分業など多くの利益を得てきました。その成功自体を否定する必要はありませんが、生活の安定を一つの雇用経路へ強く結び付けた結果、出産、育児、介護、病気、中高年の役割変化、加齢といった人生の変化が、そのまま所得不安へ変わりやすくなっている可能性があります。

若い時期には企業の中で安定した立場を確保しようとし、家庭を持つ時期にはキャリア中断を恐れます。中高年になれば組織内の役割数が限られ、企業の外へ出ようとしても事業者としての経験が乏しく、高齢期には若いころと同じ仕事量を維持できなくなる一方、企業が少量の労働をちょうどよく吸収できるとは限りません。

その不足分を、公的年金、社会保障、個人の貯蓄が支えることになります。老後への不安が強ければ現役期から防衛的に貯蓄しようと考え、その資金が住宅費や教育費と同じ家計の中で競合すれば、現在の家族形成へ使える余力が小さくなるという可能性があります。

本稿では、この長い流れを少子化の確立した因果モデルとして提示しているわけではありません。将来の失業リスクと結婚意欲、継続勤務歴と後年の賃金差、年齢と正社員転換、高齢期の就業形態、老後不安と貯蓄行動には個別の根拠がありますが、それらを企業中心社会の人生周期としてつなぐ部分は統合仮説です。

それでも、少子化を出産前後の数年間だけの問題として扱わず、若い人がこれから経験する中年期や高齢期まで含めて考える意味はあります。家庭が次世代育成の時間と費用を負担し、企業は現在の競争条件へ合理的に対応し、行政は管理しやすい制度を選ぶという、それぞれの合理性が社会全体ではずれているなら、そのずれを家庭だけに負わせ続けることはできません。

必要なのは企業を否定することでも、以前の家業社会へ戻ることでもありません。企業勤務、自営、複業、小商い、短時間就業などの間を人生の事情に応じて移り、働ける量が変わっても所得を完全に失わず、一つの道でつまずいても別の形から暮らしを組み直せる経済圏を厚くすることです。

企業の中で働き続けたい人は働き続けられ、育児や介護で一度仕事量を落とした人は再び増やせる。企業を離れた人も別の形で所得を作り、高齢になれば体力に合わせて少しだけ働けるなら、「一度外れたら終わる」という不安は今より小さくなるでしょう。

企業に人間の人生を合わせ続けるのではなく、人間の人生の変化に合わせて働き方を変えられる社会へ少しずつ重心を戻していく。そのリバランスが進んだとき、少子化は初めて「家庭だけが解決すべき問題」ではなく、企業、行政、地域、個人の関係を含めて社会全体で考えられる問題になるのではないでしょうか。

社会全体 企業 行政 地域 個人
そのリバランスが進んだとき、少子化は初めて「家庭だけが解決すべき問題」ではなく、企業、行政、地域、個人の関係を含めて社会全体で考えられる問題になるのではないでしょうか。

参考資料

国立社会保障・人口問題研究所「第17回出生動向基本調査」

内閣府経済社会総合研究所「経済分析 第211号」

厚生労働省「令和6年版 労働経済の分析 第Ⅱ部第2章」

JILPT「企業の転勤の実態に関する調査」

JILPT「壮年非正規雇用労働者の仕事と生活に関する研究」

e-Stat「令和5年民間企業の勤務条件制度等調査」

総務省統計局「労働力調査 年平均結果」

内閣府「令和6年度 高齢者の経済生活に関する調査」

内閣府「2024年度日本経済レポート 第2章第1節」

内閣府「各種意識指標が貯蓄率に与える影響の推計」

中小企業庁「2026年版 中小企業白書 小規模企業白書」

国土交通省「ほこみちプロジェクト」

国立国会図書館 レファレンス協同データベース

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