貯金はあるのに、なぜか使えない。欲しかったものを前にしても「今は我慢したほうがいい」と考え、旅行や外食を見送ったあとで、ほっとするような寂しいような気持ちになることがあります。
60代から必要なのは、無理に財布のひもをゆるめることではありません。生活を守るお金を確保したうえで、自分が納得して使える範囲を見つけることです。
この記事では、まず不安の正体を知り、使わなかったことで失うものにも目を向けます。そのうえで生活を守るお金を確認し、使えるお金を小さな予算へ分け、自分にとって価値のある支出を選びます。さらに少額から試して満足度を確かめ、それでも不安が残る場合には家計全体を専門家と確認するという7つの流れで考えていきます。
大切なのは、お金を使うことそのものを正解にしないことです。
貯める安心も残しながら、今の自分のために使える余白を探していきます。
60代以降では貯金の取り崩しや経済的不安は珍しいのか
定年退職を迎えたあと、銀行で通帳を記帳する。現役時代なら給料日に増えていた数字が、生活費を払うたびに少しずつ減っていきます。
「この先もずっと減っていくのかな」
そんな思いが浮かび、通帳を閉じたあとまで胸の奥がざわざわする人もいるでしょう。
内閣府が60歳以上を対象に実施した令和6年度「高齢社会対策総合調査」では、日常生活の支出で収入より支出が多くなり、預貯金を取り崩すことが「よくある」「時々ある」と答えた人の合計は61.2%でした。さらに、今後の生活について何らかの経済的不安を挙げた人は92.6%となっています。
ただし、この調査は「60代の多くがお金を使うことを怖がっている」と直接示したものではありません。確認できるのは、60歳以降では預貯金を取り崩して生活する人が少なくなく、経済面に何らかの不安を抱える人も多いということです。
ここで、自分自身のお金の使い方を少し振り返ってみます。
働いていた頃なら3万円の買い物をそれほど気にしなかったのに、今は同じ3万円でもずしりと重く感じていないでしょうか。子どもや孫のためなら使える一方、自分の趣味になると「そんなものに使っていいのかな」とためらう人もいます。
お金を使えなくなったというより、お金に求める役割が変わったという可能性があります。
現役時代のお金には、使ったあとにまた働いて増やせるという感覚がありました。しかし退職後のお金には、「これから先の生活を守ってもらわなければ」という役割が強く重なります。
だからこそ、60代でお金を使えない自分を責める必要はありません。まずは、何が怖くて財布を閉じてしまうのかを知るところから始めます。
1 不安の正体を知る
お金を使うのが怖いと、「自分は心配性だから」と一言で片づけてしまうことがあります。
しかし、その怖さを丁寧にほどいていくと、いくつか違った背景が見えてきます。ここでは、60代で貯金が減ることを怖く感じる理由として考えられる四つの背景を確認します。
収入の流れが変わると減る数字が気になりやすい
現役時代には、毎月の給与という大きな安心材料がありました。
旅行へ行って10万円使っても、家電を買い替えて5万円減っても、次の給料日には口座へ新しいお金が入ってきます。そのため、「使えば減る」という事実があっても、減ったままになる感覚は弱かったでしょう。
ところが退職すると、お金の流れが変わります。
再雇用の給与や公的年金などの収入があっても、現役時代と同じ金額ではない人もいます。すると、通帳を見るたびに入ってきた金額より、減った金額のほうが強く目に入ることがあります。
行動経済学のプロスペクト理論では、同程度の利益と損失を比べた場合、損失のほうが意思決定に強く影響しやすいという損失回避の考え方が示されています。
この考え方をそのまま60代の貯金不安の原因だと断定することはできません。ただ、口座残高の減少を単なる数字の変化ではなく、「自分の安全が削られた」と感じてしまう背景の一つとして考えることはできます。
楽しかった食事のあとにも、「5,000円も使ってしまった」という気持ちばかりが残るなら、買ったものより残高の減少そのものへ心が反応しているのかもしれません。
将来に必要なお金が見えない
老後のお金を考える難しさは、いつまで必要になるのかを正確には決められないことです。
これから10年なのか、20年なのか、それより長いのかはわかりません。その間には、医療や介護、住宅設備の修繕、家電や車の買い替えなどが発生する可能性があります。
物価が上がれば、同じ金額で買えるものも変わるでしょう。
すると、「今この5万円を使ったせいで、将来の自分が困ったらどうしよう」と考えます。実のところ、怖いのは5万円そのものではなく、その先に何が起きるかわからないことです。
必要額の目安がなければ、不安にも終点がありません。
1,000万円貯めても「もう少し必要かもしれない」と感じ、2,000万円になれば「今度は2,000万円を割りたくない」と思う可能性があります。
そのため、貯金額を増やすことだけで安心を求めるより、「何のためのお金をどの程度残したいのか」を具体的にすることが重要です。
貯めることが人生の成功体験になっている
60代まで長く貯蓄を続けてきた人では、節約する習慣が深く身についていることがあります。
給料が入れば先に貯金をする。必要のないものは買わず、教育費や住宅費を払いながら家計を守ってきた。「あのとき我慢したから今がある」と感じる場面も一度ではなかったでしょう。
そうした人にとって、節約は単なる家計管理ではありません。
真面目に暮らし、家族を守ってきた証しでもあります。
だから、退職した途端に「これからはもっと使いましょう」と言われても、心は簡単には切り替わりません。長年踏み続けてきたブレーキから、急に足を離すようなものです。
これまで培った貯める力を捨てる必要はないでしょう。
むしろ、その力を残したまま「必要なところには納得して使う力」を少しずつ足していくことが、60代からのお金との付き合い方になります。
自分のために使うことへ罪悪感が残る
子どもの教育費として5万円を払うときには迷わなかったのに、自分の趣味へ1万円使うとなると考え込んでしまう。
孫へのプレゼントなら喜んで買える一方、自分が欲しかった靴を見ると、「今の靴でもまだ歩ける」と棚へ戻してしまう人もいるでしょう。
そこには、長年続けてきた役割が影響している可能性があります。
家族を支える側として長く暮らしてきた人では、「自分の楽しみは後回しにする」という習慣が残っていることがあります。そのため、自分のための支出に「ぜいたくをしている」という罪悪感を覚える場合もあるでしょう。
ただ、自分のためにお金を使うことと、無計画に浪費することは同じではありません。
ここで一度考えたいのは、本当に「お金を使いたくない」のか、それとも「自分のために使ってよいと自分自身へ許可できていない」のかという違いです。
不安の正体が見えてくると、次に取る行動も少しずつ変わります。
2 使わなかったことで失うものも考える
友人から「秋になったら一泊で温泉へ行かない?」と誘われたとします。
行ってみたい気持ちはあります。それでも交通費と宿泊費を計算すると数万円になり、「今回はやめておこう」と断りました。
その瞬間には、ほっとするかもしれません。通帳の数字は減らず、余計な出費を防げたという安心があります。
ところが数か月後、友人から旅先の写真を見せてもらったとき、「あのとき行っておけばよかったな」と小さな後悔が残ることもあるでしょう。
旅行へ行くことが正解という意味ではありません。体調や家計によっては、行かない判断のほうが適切な場合もあります。
大切なのは、お金を使わなかったことで守ったものだけではなく、使わなかったことで手放す可能性のあるものにも目を向けることです。
お金は残しておけば、後から使える可能性があります。一方、今の体力や誰かと予定を合わせられる機会は、同じ形のまま保存できません。
内閣府の令和6年度調査では、今後優先的にお金を使いたい項目として、自分や配偶者などの医療や介護が47.5%、食費が43.2%でした。そのほか、趣味やレジャー32.4%、子や孫への支出25.8%、健康維持や増進24.1%、友人などとの交際費20.2%などが挙げられています。
この結果は、「60代なら旅行や交際へお金を使うべき」と示すものではありません。人によって、これから大切にしたい使い道が異なることを示す資料として見るほうが適切です。
使わない選択にも価値はあります。
それでも判断するときには、「いくら残せるか」だけではなく、「その代わりに何を諦めるのか」まで考えると、自分が本当に望んでいる選択が見えやすくなるでしょう。
3 生活を守るお金を確認する
「使わなかったことで失うものもあるなら、少し使ってみよう」
そう思ったとしても、すぐに財布を開く必要はありません。
先に確かめたいのは、自分の生活を守るためのお金です。
使って大丈夫なのかわからないまま支出だけ増やせば、楽しいはずの時間にも不安がついて回ります。「旅行は楽しかった。でも本当に払ってよかったのかな」と帰宅後に悩むのであれば、安心をつくる順番が逆なのでしょう。
公的統計は目安として使う
総務省「家計調査」2025年平均では、65歳以上の夫婦のみの無職世帯で、可処分所得は月平均22万1,544円、消費支出は26万3,979円でした。
65歳以上の単身無職世帯では、可処分所得11万8,465円に対し、消費支出は14万8,445円となっています。
また、二人以上の世帯のうち、世帯主が65歳以上の無職世帯を年齢階級別に見ると、世帯主が65歳から69歳の世帯の消費支出は月平均29万6,997円でした。
ただし、これらは65歳以上の無職世帯などを対象とした統計であり、60代全体や働いている世帯の平均を示すものではありません。
ここから確実に言えるのは、対象となった世帯の平均では消費支出が可処分所得を上回っているということです。すべての世帯が同じように赤字だという意味ではありません。
持ち家か賃貸か、受け取る年金はいくらか、車が必要か、健康状態はどうか。家族構成や住んでいる地域によっても支出は違います。
公的統計は、自分の家計を考えるための地図にはなります。しかし、そこに自宅の住所までは書かれていません。
平均額を「60代ならこれだけ使える」という基準にせず、自分の数字を確認するための比較材料として使うことが大切です。
使えるお金を探す前に生活費の不足を見る
では、自分の場合は何を確認すればよいのでしょうか。
ここで目指すのは、「絶対に使ってよい金額」を一度で決めることではありません。まず、生活を守るために必要な部分を切り分け、その外側に安心して試せる仮の範囲があるかを探します。
最初に確認するのは、公的年金や再雇用の給与など、これから定期的に入ってくる収入です。
次に、食費や住居費、光熱費、通信費、保険料など、現在の生活を続けるために必要な基本生活費を見ます。
ここで重要なのは、二つの数字を別々に確認して終わらせないことです。
定期収入で基本生活費を賄えるのか、その差額を見る必要があります。
たとえば、これは考え方を説明するための単純な例ですが、毎月の定期収入が20万円で、基本生活費が25万円なら、月5万円の不足があります。
一か月なら5万円でも、一年間では60万円です。
しかも、その不足が今後も続くのであれば、旅行や趣味に一円も使わなかったとしても、日常生活を続けるだけで預貯金を取り崩すことになります。
「何もぜいたくをしていないのに通帳が減っていく」
そんな状況では、残高を見るたび不安になるのも無理はないでしょう。
だからこそ、生活を守るお金を考えるときには、現在の基本生活費だけではなく、今後その不足分をどの程度資産から補うことになりそうかという視点も欠かせません。
何歳までの不足額を正確に計算すればよいという話ではありません。
寿命や物価、年金額、生活費は変化するため、将来を完全に予測することはできないからです。
まずは現在の収入と支出の差を確認し、「今の生活を続けると年間ではどの程度の不足になるのか」を把握します。
仮に毎月3万円不足しているなら年間36万円、毎月5万円なら年間60万円です。こうして一年単位へ直すだけでも、今後の生活費として資産から補う部分を考えやすくなります。
そして、その不足分は「楽しみのために使えるお金」ではなく、生活を維持するためのお金として先に考えます。
この一段を飛ばしてしまうと、口座にまとまった残高があるだけで「余っている」と感じてしまう可能性があります。
逆に、毎月の定期収入だけで基本生活費を十分に賄えているなら、そのこと自体が一つの安心材料になるでしょう。
お金を使えるかどうかを考える前に、「何もしなくても生活のためにどれだけ取り崩す可能性があるのか」を見る。
ここが、60代からの家計を考えるうえで大切な境目です。
近い将来の大きな支出も分けて考える
基本生活費と定期収入の関係を確認したら、次は数年以内に予定している大きな支出を見ます。
住宅修繕や家電の買い替え、車の更新、家族に予定している援助など、ある程度時期を想像できるものです。
さらに、医療や介護のように、いつ必要になるかわからない支出についても、自分としてどの程度の備えを持っておきたいのか考えます。
ここで「60代なら医療や介護に○万円必要」と一律に決めることはできません。
住まいや健康状態、保険の内容、家族構成などによって必要な備えは変わります。
つまり、使えるお金を探す順序は、「定期収入」「基本生活費」「両者の差額」「近い将来に予定している大きな支出」「不測の支出へ備えたいお金」となります。
ここまで確認したうえで初めて、それ以外の部分について「今の自分のために使える可能性があるお金」と考えます。
最初から使える金額を確定しなくてよい
ここで残った金額があったとしても、すべてを「自由に使ってよいお金」と決める必要はありません。
将来には不確実な部分が残るからです。
そこで、その中の一部だけを「試しに使える仮枠」として設定する方法があります。
たとえば、まとまった余裕があるように見えても、まず今年の楽しみ費だけを決めます。その範囲で生活に影響が出なかったか、使ったことへの満足感はあったかを確認し、翌年また家計を見直します。
この方法なら、「一生分の使ってよい金額」を今日決める必要はありません。
今後、生活費が増えたなら仮枠を小さくできますし、定期収入で十分に暮らせていることが確認できれば、少し広げる選択もあります。
正解額を探すのではなく、生活を守りながら更新できる範囲を持つ。
それなら、貯金が減ることへの不安を無視せずに前へ進めるでしょう。
お金を役割で分けて考える
資産全体を一つの大きな貯金として見ていると、どの支出も同じように怖く感じます。
そこで、日常生活の不足を補うお金、予定している大きな支出のためのお金、不測の出来事に備えるお金、そして今の人生へ使うためのお金というように役割を分けます。
すると「2,000万円ある貯金から5万円減った」という見方だけではなく、「将来の生活費を補う部分や備えには触れず、今年の楽しみに分けた部分から5万円を使った」と捉えられるようになります。
同じ5万円でも、意味が違います。
不安をゼロにする必要はありません。
何を守るのかと、どこからなら試せるのかが見えるだけでも、漠然と広がっていた怖さには輪郭が生まれます。
4 使えるお金を小さな予算へ変える
生活を守るお金を確認し、その外側に仮の使用枠をつくっても、すぐに気持ちが追いつくとは限りません。
「数字では大丈夫そうだけれど、やっぱり減らしたくない」
そう感じる人もいるでしょう。
その場合は、まとまった金額を大きな塊のまま見ないことです。
大きな金額を月単位へ小さくする
たとえば、これは計算方法を説明するための例ですが、家計全体を確認した結果、日常生活の不足を補う資金や今後の備えとは別に、600万円を長期間かけて活用するという仮定を置いたとします。
「これから600万円を取り崩す」と考えると、大きな決断に感じるでしょう。
ところが20年間で均等に活用するなら、年間30万円となり、月平均では2万5,000円です。
同じ600万円でも、「老後資金から600万円なくなる」と考える場合と、「今月は2万5,000円まで楽しみに使える」と見る場合では、受け止め方が変わります。
もちろん、600万円や20年間という数字には万人共通の根拠はありません。この例で重要なのは、まとまった資産をそのまま「使うか残すか」で考えず、年や月の小さな仮枠に変えることです。
最初はさらに小さくても構いません。
今年は年間6万円だけ楽しみに使うと決めれば、月平均では5,000円です。そこで生活が苦しくならず、使ったことへの満足感も確認できたなら、翌年また家計を見ながら調整できます。
「使ってよい額を一度で決める」のではなく、「使っても生活を守れた範囲を少しずつ確かめる」という考え方です。
楽しむお金へ名前をつける
使っても生活に影響しない仮枠が見えたら、家計簿の中に「楽しみ費」という項目をつくる方法があります。
生活費とは別の口座へ移してもよく、現金で管理しやすいなら封筒を一つ用意しても構いません。
今月5,000円を使ったとき、「老後資金が5,000円減った」と考えるのではなく、「楽しむために確保していた5,000円を使った」と捉えやすくなります。
お金の総額は同じです。
それでも役割へ名前をつけることで、支出の意味が変わる可能性があります。
予算があるからといって使い切る必要もありません。何もしたくない月なら残してよく、「使わない」と納得して決めることも一つの選択です。
60代でお金を使えない人に必要なのは、財布のひもを一気にゆるめることではないでしょう。
安心して開けられる小さな財布をつくることです。
5 自分にとって価値のある支出を選ぶ
使ってよいお金を分けると、今度は「では何に使えばよいのだろう」と迷うことがあります。
ここで、世間の正解を探しすぎる必要はありません。
旅行が好きではない人が「老後は旅行へ行くべき」と考えて出かけても、満足できるとは限らないからです。
探したいのは、自分のお金が何に変わったとき、あとから「使ってよかった」と感じられるかです。
買う前の質問3つ
お金を使おうとして迷ったときには、三つの質問を自分へ向けてみます。
「この支出によって、自分の時間や経験、健康、人とのつながりのどれかが良くなるだろうか」
「今ここで見送ったら、あとになって使わなかったことを惜しく感じるだろうか」
「この支出をしても、生活を守るために確保したお金には影響しないだろうか」
これは合否判定ではありません。
気持ちが「安いから」「人が持っているから」「今買わないと損だから」といった勢いだけで動いていないかを確認するための問いです。
たとえば、少し高い靴を買おうとしているとします。
今の靴では足が痛くなり、散歩そのものを避けるようになっているのであれば、新しい靴は単なる所有物ではなく、外出しやすい毎日につながるかもしれません。
反対に、値下げされた商品を見て「今買わなければ損」と感じているだけなら、その日は店を出てもよいでしょう。
「高いからやめる」「安いから買う」だけでは、自分にとっての価値が抜け落ちます。
買う前に「このお金を何と交換しようとしているのだろう」と考えることが、後悔の少ない支出につながります。
時間へ使う
毎週の掃除がつらくなってきたのに、「人に頼めばお金がかかる」と何時間もかけている人がいるとします。
掃除が終わる頃にはぐったりして、午後は何もする気になれません。
そこで家事を楽にする家電やサービスを利用すれば、支出は増えます。一方、その結果として体力や時間が残り、散歩や読書、家族との時間へ回せるのであれば、手に入ったのは商品やサービスだけではありません。
自由に使える時間も増えています。
「嫌なのに、お金を使いたくないという理由だけで続けていることはないだろうか」と振り返ると、自分にとって意味のある使い道が見つかることがあります。
経験へ使う
物は目に見えるため、「これにお金を使った」という実感があります。
一方、映画や観劇、習い事、日帰り旅行などは終われば手元に形として残りません。そのため、「何も残らないものにお金を払うのはもったいない」と感じる人もいるでしょう。
しかし、数週間後にも「あの日は楽しかった」と思い出せるのであれば、本当に何も残っていないのでしょうか。
体験型の購入と物質的な購入を比較した研究では、体験的な購入のほうが幸福感と結びつきやすい傾向が報告されています。これは60代だけを対象とした研究ではなく、すべての人に同じように当てはまる法則でもありません。
それでも、支出を考える一つの手がかりにはなります。
大切なのは「物より経験が正しい」と決めることではなく、自分の場合に何へ使ったお金が長く心に残るのかを確かめることです。
人とのつながりへ使う
60代になると、仕事を通じて自然に会っていた人との交流が減る場合があります。
「また今度会おう」と話していた友人とも、気づけば半年、一年と顔を合わせていないことがあるでしょう。
そんなときは、高価な贈り物ではなく、会う機会をつくるために少しお金を使う方法があります。
友人とコーヒーを飲むことも、家族と昼食へ出かけることも、孫と一緒に何かを体験することもできます。
数日後に思い出すのは、支払った金額より「久しぶりに話せてよかった」という感覚かもしれません。
一方、交際を増やすほど疲れてしまう人もいます。その場合は、自分が落ち着ける趣味や一人の時間へ使えばよいでしょう。
世間が考える充実した老後ではなく、自分自身が心地よいと感じる暮らしへお金を使うことが大切です。
6 小さく使って満足度を確かめる
ここまで理解しても、実際に支払う瞬間になると「本当に買っていいのかな」と手が止まることがあります。
それなら、数万円の旅行や高価な買い物から始める必要はありません。
小さく試し、使ったあとを確認し、その結果で次の使い方を調整します。
1000円から試してみる
たとえば1,000円程度です。
これは「60代なら1,000円を使っても大丈夫」という基準ではありません。家計への影響を小さくしながら、自分が支出をどう感じるのか観察するための一例です。
以前から読みたかった本を買う。気になっていた喫茶店で、いつもよりゆっくり過ごしてみる。少し良い食材を買い、自宅で料理を楽しむ方法もあります。
支払う瞬間には、「家に帰れば無料でコーヒーを飲めるのに」と思うかもしれません。
そこで判断を終わらせず、その日の夜や翌日に自分の気持ちを確かめます。
「やっぱり使わなければよかった」と感じているのか。それとも、「昨日の一時間は落ち着いたな」と思えるのか。
後者なら、1,000円はただ減ったのではなく、自分が心地よく過ごす時間へ交換されたと考えられます。
期待したほど満足できなかったとしても、「自分はここにはあまり価値を感じない」とわかります。
それも次の判断に使える情報です。
使った後の満足度を記録する
普通の家計簿では、何にいくら使ったかを記録します。
お金を使えない悩みを見直すときには、そこへ「使ったあとにどう感じたか」を一つ加えてみます。
たとえば、友人との食事に5,000円使い、翌日になっても「久しぶりにたくさん話せて楽しかった」と感じたなら、高い満足度として記録できます。
散歩用の靴に12,000円使った結果、足が楽になり外出しやすくなったなら、それも満足度の高い支出かもしれません。
一方、セールで8,000円の服を買ったものの、家に帰ると似た服を持っており、ほとんど着なかったのであれば、満足度は低くなるでしょう。
気乗りしない会食へ6,000円を払い、お金より疲労感だけが残ったなら、次は断ってもよいと判断する材料になります。
重要なのは、どの支出が一般的に優れているかではありません。
自分の記録から、「自分は何へ使ったときに満足しやすいのか」を知ることです。
満足度の低い支出を少し減らし、その分を満足度の高いところへ移していきます。これなら、これまで培ってきた節約する力も生かせます。
貯金を減らせない65歳男性を想定したケース
ここで、第6章の流れを65歳男性の想定ケースで見てみます。
以下は実在人物へのインタビューではなく、考え方を具体的にするための事例です。
Bさんは退職後、通帳の残高が減ることが怖くなり、外食や趣味をほとんどやめていました。
まず家計を確認すると、定期収入だけでは基本生活費に少し不足があり、その不足分については今後も預貯金から補う必要があるとわかりました。
そこで、その不足分や今後の備えを先に考えます。
そのうえで家計全体への影響を抑えられる範囲として、まず月5,000円だけを楽しみの仮枠にしたとします。
最初の月、Bさんは妻と近所の店で3,500円の昼食を取りました。
支払うときには「家で食べれば1,000円もかからないのに」と少し後悔しかけます。
ところが帰宅後、二人で店の話をしながら「久しぶりにゆっくり話せたね」と笑いました。翌日になっても嫌な気持ちは残らず、Bさんはその支出を「使ってよかった」と評価します。
別の週には、セールになっていた趣味用品を4,000円で買いました。
店では得をした気分になりましたが、家に帰ると似たものをすでに持っており、一度使っただけで棚へ置いたままになります。
そこでBさんは、「自分は安い物を買ったときより、妻と出かけたときのほうが満足が長く残るようだ」と気づきます。
翌月は予算を増やさず、同じ5,000円のまま続けました。ただし使い道は変え、物を買うより夫婦で出かける費用へ少し多く振り向けます。
ここで起きている変化は、たくさんお金を使えるようになったことではありません。
生活に必要な取り崩しと楽しみの支出を分けて考え、使う前に考え、小さく試し、使ったあとを振り返り、次の支出を調整できるようになったことです。
Bさんにとって月5,000円が正しいという意味でもありません。
大切なのは、最初から大きな金額を決めず、自分の家計に無理のない仮枠で試しながら、自分にとって満足度の高い使い方を探すことです。
一か月後に暮らしの変化を見る
一か月ほど試したら、支出額の合計だけを見て終わらせません。
以前の自分と比べ、毎日の過ごし方がどう変わったのかを確認します。
友人とのお茶にお金を使ったことで外へ出る理由が生まれ、その日の夜まで気持ちが軽かったのであれば、お金が人との時間へうまく変わった可能性があります。
家事を楽にする道具やサービスを利用したことで、夕方まで疲れを引きずらず、好きな本を読む余裕が生まれたなら、その支出は自分の時間を増やしたと考えられるでしょう。
反対に、買い物の回数だけが増え、家の中に使わないものが積み重なっているなら、次の月は予算を増やさず使い道を見直します。
目標は「お金を使える人になること」ではありません。
自分にとって価値のあるものへ、納得して使えるようになることです。
さらに、何も買わなかったときの感覚にも注目します。
以前なら我慢したあとにモヤモヤしていたのに、今は「これは自分には必要ない」と納得して店を出られるようになったのであれば、それも変化の一つです。
使う自由と使わない自由の両方を持てるようになると、お金との関係は少しずつ変わっていきます。
7 不安が残るなら家計全体を専門家と確認する
小さく試しても、通帳の残高が減るたびに強い不安が戻ってくることがあります。
その場合は、無理に使おうとしなくて構いません。
本当に将来資金が不足する可能性があるのか、それとも数字上は余裕があっても先が見えないために怖いのかは、感覚だけでは区別しにくいからです。
将来の収支を年単位で見る
まず、現在の預貯金や金融資産、年金などの収入、年間の生活費を整理します。
特に、毎年の定期収入だけでは生活費を賄えない場合には、その不足が一年間でどの程度になるのかを確認します。
その差額が今後も続くと仮定した場合、資産をどの程度取り崩して生活を補うことになるのかを見ることで、「生活のために必要な取り崩し」と「楽しみのために選ぶ支出」を分けやすくなるでしょう。
そこへ住宅修繕や車の買い替えなど、ある程度予定できる支出を加えます。医療や介護についても、自分が考えておきたい条件を設定します。
すると、70歳や80歳、90歳になったとき、資産がどのように推移する可能性があるのかを試算できます。
ただし、将来の試算は確定した未来ではありません。
モデルでは、設定した収入や支出、物価上昇率などの条件に基づいて将来残高が予測されます。そのため、一つの結果だけを見るのではなく、生活費が増えた場合や大きな支出が発生した場合など、複数の条件を考えるほうが現実的でしょう。
ここで欲しいのは、「絶対に大丈夫」という保証ではありません。
何が起こると家計が厳しくなり、どの程度なら今の生活に使える余地を持てるのかという見通しです。
公的な相談窓口も選択肢になる
自分だけで整理することが難しい場合は、第三者へ相談する方法があります。
J-FLECでは、家計管理や生活設計などについて相談できるサービスを提供しており、現在案内されている無料相談では電話相談が最大30分、対面またはオンラインの無料体験が最大1時間です。また、無料体験では個別の金融商品やサービスの提案や推奨は行わないと案内されています。
専門家へ相談する目的は、「もっと使ってよい」と許可してもらうことではありません。
自分が何を守る必要があるのかを数字で確認し、そのうえでどこまでなら仮の使用枠を持てそうかを整理することです。
確認した結果、今は支出を抑えたほうがよいとわかることもあるでしょう。それなら、その節約には理由があります。
反対に、将来の日常生活で必要になる取り崩しや備えを考えても余裕があると確認できれば、「まずこの範囲から試してみよう」と考える根拠になります。
不安を力ずくで消すのではありません。
わからない部分を一つずつ減らし、自分で判断できる部分を増やしていくのです。
60代でお金を使えないときのよくある質問
- 老後に貯金が減るのが怖いのはなぜ?
-
退職によって収入の流れが変わることや、将来必要になる生活期間や支出が確定していないことなどが背景として考えられています。
また、長年にわたり貯蓄を続けてきた人では、お金を減らさないことが安心や成功体験と強く結びついている可能性があります。
そのため、一定の貯蓄があっても使うことへ強い抵抗を感じる場合があります。
不安を減らすためには、ただ貯金額を増やすのではなく、「自分は何を心配しているのか」「何のためにお金を残したいのか」を具体的にしていくことが大切でしょう。
- 60代は何にお金を使うとよい?
-
すべての60代に共通する正解はありません。
自分の時間を楽にするもの、心に残る経験、健康を支える行動、大切な人とのつながりなどから考える方法があります。
世間で勧められている使い道より、「自分は何に使ったあと満足が残るのか」を記録しながら確かめるほうが、自分に合った答えへ近づきます。
- 自分のためにお金を使う罪悪感を減らすには?
-
生活を守るためのお金と、自分が楽しむために使う仮枠を分けて考える方法があります。
まず定期収入と基本生活費を確認し、収入だけで賄えない場合は、その不足分を生活のために資産から補うお金として考えます。
さらに近い将来の大きな支出や、自分が確保しておきたい備えを確認し、そのあとに残る部分から小さな楽しみ予算を設定します。
その範囲で少額から試し、「生活を守ったまま楽しめた」と確認できれば、次の判断もしやすくなるでしょう。
- 節約しすぎかどうか判断する方法は?
-
支出額だけでは判断できません。
必要な受診までお金を理由に控えていたり、体力的につらいことまで「お金がもったいない」という理由だけで抱え込んでいたりする場合は、家計と暮らしのバランスを確認する余地があります。
何かを見送ったあとに「買わなくてよかった」と納得できるのか、それとも「またできなかった」という後悔が繰り返し残るのかも手がかりになります。
節約によって暮らしを守っているのか。それとも、節約を守るために暮らしが小さくなっているのか。
その違いを確かめることが大切です。
まとめ
60代でお金を使えない背景には、退職後の収入への不安や将来の見通しにくさ、長年続けてきた貯蓄習慣などがあります。
だからこそ、無理に「もっと使おう」と考える必要はありません。
まず不安の正体を知り、定期収入と基本生活費を比べ、日常生活で不足する金額があるなら、その部分を将来の生活のために必要なお金として考えます。
さらに、今後予定している大きな支出や備えておきたいお金を確認したうえで、残る部分から小さな仮枠をつくります。
そこから、自分にとって価値のある支出を少額で試し、使ったあとの満足感や暮らしの変化を見ながら、次の使い方を調整していけばよいでしょう。
見るべきなのは、通帳からいくら減ったかだけではありません。
その減少のうち、いくらが暮らしを守るために必要で、いくらが自分の人生を豊かにするために選んだ支出なのか。
その違いが見えるようになると、ただ残高の減少を怖がるのではなく、自分なりの理由を持ってお金を使えるようになります。
守るためのお金と楽しむためのお金を分けられるようになると、使うか我慢するかの二択から離れ、自分で納得できる選択をしやすくなるのではないでしょうか。
参考資料
内閣府 令和6年度高齢社会対策総合調査 預貯金の取り崩し 問23
内閣府 令和6年度高齢社会対策総合調査 今後のお金の使い方と経済的不安 問27 問28
Kahneman and Tversky Prospect Theory An Analysis of Decision under Risk
Van Boven and Gilovich To Do or to Have That Is the Question