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投資で群集心理はなぜ生まれる? 合理的な人まで同じ方向へ動く理由を1929年と日本のバブルから考える

NISAやインデックス投資を続けていると、「これだけ多くの人が同じものを買っていて、本当に大丈夫なのだろうか」と感じることがあります。周囲ではオルカンやS&P500を積み立てる人が増え、SNSや動画でも似た投資法が繰り返し紹介されているため、自分と同じ選択をする人が多いことに安心しながら、その安心そのものへ少し違和感を覚える人もいるでしょう。

この感覚に対する答えは、多数派とは逆の行動を取ることでも、人気の投資法を避けることでもありません。インデックス投資には低コストや幅広い分散といった合理性があり、多くの人が利用しているという理由だけで否定すれば、それも結局は周囲の人数を基準にした判断になってしまいます。

むしろ考えたいのは、自分が何を買っているのか以上に、その判断がどのような前提の上に成り立っているのか、その前提が変化したときにも自分で考え直せるのかという問題です。

1929年のアメリカ、日本のバブル経済、現在のインデックス投資、さらに検索やSNSを通じた情報収集までを一つの流れとして見ると、時代を越えて共通する構造が見えてきます。それは、何も考えない人ばかりが市場へ押し寄せることではなく、それぞれが自分なりに合理的な理由を持ちながら、判断を支える前提だけが似通っていき、結果として社会全体の行動まで同じ方向へそろっていくという構造です。

この記事では、まず1929年を中心的な事例として、その構造がどのように形成され、価格や信用によって増幅され、下落局面では逆方向へ動いたのかを細かく見ていきます。そのうえで、日本の土地バブルを別の金融制度と資産で似たメカニズムが生じた比較事例として考え、最後にオルカン、パッシブ投資、SNS時代の情報環境へつなげます。

群集心理という観点から注意したいのは、思考そのものが消えることより、多くの人が考えた末に同じ前提へ到達し、その前提を再検討する必要まで感じなくなる状態ではないでしょうか。

TABLE OF CONTENTS
目次

群集心理は合理的な人にも生まれる

群集心理という言葉からは、投資経験の浅い人が周囲に流され、値上がりしている資産へ感情的に飛びつく姿を想像しがちです。しかし金融史を振り返ると、大規模なバブルを作ってきたのは、情報を持たずに行動する人だけではありません。

銀行、企業経営者、富裕層、専門家、機関投資家など、自分なりの情報を持ち、損得を計算できる人たちも市場の熱狂へ参加してきました。

ある投資家は企業利益が成長しているから株式を買い、ある銀行は担保価値が十分にあるから融資を増やします。企業経営者であれば、競争相手が設備や土地へ積極的に投資している状況で、自社だけ慎重になれば将来の競争力を失うのではないかと不安になるでしょう。

それぞれの判断だけを取り出せば、理解できない行動ではありません。しかし、銀行も企業も投資家も「この資産の価格は今後も大きく下がらない」といった似た前提を置き始めれば、別々に考えているはずの判断が同じ方向へ収束します。

銀行は融資を増やし、企業は資産を購入し、投資家はさらに価格が上昇すると期待するため、一人ひとりにとって合理的に見える行動が、市場全体では一つの巨大な流れへ変わっていくのです。

他人の行動そのものが情報になる

この構造を考えるうえで、ジョン・メイナード・ケインズが株式市場を説明するために使った美人投票の比喩は分かりやすいでしょう。

自分が最も魅力的だと思う候補を選ぶのではなく、参加者全体が最も選びそうな候補を当てた人が勝つゲームでは、自分自身の好みだけを考えていても勝てません。ほかの参加者が誰を選ぶのかを予測し、さらに、その参加者たちも周囲の選択を予測していることまで考える必要があります。

金融市場にも似た側面があります。

企業の価値を自分がどう考えるかだけではなく、ほかの市場参加者が今後その企業をいくらで評価するのかを読む必要があるからです。自分では現在価格を少し高いと感じていても、さらに高い価格で買いたい人が現れると予想するなら、短期的には購入することにも合理性があります。

また、自分には魅力がよく分からない資産でも、大勢の投資家が買い続けて価格が上昇していれば、「自分には見えていない重要な情報を、ほかの人は知っているのではないか」と考えるでしょう。

この推測そのものは、必ずしも愚かではありません。実際に、ほかの参加者が自分より詳しい情報を持っている場合はありますし、他者の行動を情報として利用すること自体には合理性があります。

ところが、先に買った人もまた、その前に行動した人を参考にしていたとしたらどうでしょうか。

最初は少数の判断にすぎなかったものが、追随者を増やすほど社会的な信頼を獲得し、やがて「これほど多くの人が買っているのだから、何か確かな理由があるはずだ」という強いシグナルへ変わる可能性があります。

情報カスケードと呼ばれる考え方でも、自分自身が持つ情報より先に行動した人の選択を重く見た結果、本来なら違う判断をするはずだった人まで同じ方向へ動く可能性が説明されています。

つまり、群集心理は考えることをやめた人だけから生まれるのではなく、他者の判断を参考にすることが局所的には合理的であるために生まれることもあります。

そのため、「自分は投資について勉強しているから大丈夫」と簡単には言えません。むしろ、自分の判断には十分な根拠があると感じているときほど、その根拠を本当に自分で検証したのか、それとも周囲の成功によって根拠の強さまで大きく見えているのかを確かめる必要があります。

1929年で合理性が熱狂へ変わった過程

1929年の大暴落を、実体のない投機が突然膨らみ、ある日突然崩れた出来事としてだけ理解すると、その怖さの一部を見失います。

1920年代のアメリカには、現実の経済成長がありました。

自動車や電話などの新しい製品が普及し、都市では電化が進み、家庭用ラジオも急速に広がります。企業の生産性が向上し、新しい市場が生まれ、人々の生活そのものが目に見えて変化していたのであれば、株式市場がその成長を評価して上昇すること自体は不自然ではありません。

Federal Reserve Historyも、当時は自動車や電話などの新技術が普及し、一般の人々が株式市場へ参加する機会が広がる一方、購入代金の一部だけを自己資金で払い、残りを借りる証拠金取引も拡大していたと説明しています。

つまり、最初から何もかもが幻想だったわけではありません。

危うさが生まれるのは、本当に合理的だった判断が何度も成功した後です。

企業利益が伸びているため株価が上昇するという関係が何年も続けば、今度は株価が上昇しているという事実そのものが、企業や経済の将来性を証明しているように感じられます。当初は経済成長から価格を説明していたはずなのに、いつの間にか価格上昇から明るい未来を説明するようになるのです。

さらに、「現在は過去とは違う新しい時代なのだから、従来の尺度で割高だと考えるほうが古い」という説明まで加われば、高い価格にも意味があるように見えてきます。

成功体験が慎重論を弱く見せる

ある投資家が早い段階から株価を高すぎると判断し、現金を増やしたとしても、その後さらに一年、二年と相場が上昇すれば、精神的な負担は小さくありません。

周囲では積極的に株を買った人の資産が増え、住宅を購入したり、生活水準を上げたりする人も現れます。一方、自分は危険を避けたつもりなのに、その慎重さによって大きな利益を逃し続けているように感じられるでしょう。

その状態が長く続けば、「自分は慎重なのではなく、単に間違っているのではないか」という迷いも生まれます。

以前にも下落を警戒したものの、その後さらに価格が上がった経験があれば、今回の慎重論もまた機会損失につながるのではないかと考えるかもしれません。積極的だった人が何度も報われ、慎重だった人が繰り返し利益を逃す状況が続くほど、値上がりを疑うこと自体が非合理に見えてきます。

こうして、当初は条件付きだった強気の見方が、少しずつ疑う必要のない常識へ変化します。

バブルでは、根拠のない判断だけが人を熱狂させるわけではありません。過去に正しかった判断が繰り返し報われることで、その判断が成立する条件まで確認しなくなることがあります。

1927年の金融緩和だけでバブルを説明できるのか

1920年代の株式ブームを考えるときには、金融政策と信用供給の影響も無視できません。

1927年、連邦準備制度は政府証券を購入し、各地区連銀の割引率も4%から3.5%へ引き下げていきました。Federal Reserve Historyは1924年と1927年に大規模な公開市場での証券購入が行われたことを説明しており、当時のFederal Reserve Bulletinでも、1927年夏の割引率引き下げと政府証券購入が確認できます。A.C. Millerが1935年に発表した回顧的な論文でも、1927年の政策が信用を緩和することを目的としていた経緯が詳細に記されています。

そのため、容易な信用環境が投機へ資金を供給したという説明には意味があります。

一方で、金融緩和だけを唯一の原因としてしまうと、人々がなぜ自ら資金を借り、なぜ高い価格でも株式を購入したのかという部分が見えなくなります。

資金を借りやすい環境が整っても、将来の値上がりを誰も信じなければ、巨大な熱狂にはなりません。逆に、人々が非常に強い上昇期待を持っていたとしても、信用供給が厳しければ、その期待を大きなポジションへ変えることは難しくなります。

制度と心理は、どちらか一方だけで動いているわけではありません。

金融環境によって投資できる金額が増え、その資金で株価が上がり、上昇した価格が楽観的な見通しをさらに説得力のあるものへ変えます。そこで新しい参加者が増えれば、また信用需要が膨らむという循環が生まれます。

1927年の金融緩和だけでバブルを説明できるのか 金融環境によって投資できる金額が増え その資金で株価が上がり 上昇した価格が楽観的な見通しを さらに説得力のあるものへ変えます そこで新しい参加者が増えれば、また信用需要が膨らむ
金融環境によって投資できる金額が増え、その資金で株価が上がり、上昇した価格が楽観的な見通しをさらに説得力のあるものへ変えます。そこで新しい参加者が増えれば、また信用需要が膨らむという循環が生まれます。

中央銀行や金融機関だけを犯人にすれば話は分かりやすくなりますが、分かりやすい原因を一つ選ぶことと、バブルの形成過程を理解することは同じではありません。

警告する人ほど嫌われる理由

上昇相場で慎重な意見が嫌われやすいのも、同じ流れから考えると理解できます。

警告者は単に違う見方を示しているのではなく、すでに資産を持つ人にとって、自分の利益や将来設計、自分が正しいと思ってきた判断へ疑問を投げかける存在になります。

ジョン・ケネス・ガルブレイス自身に関する有名な逸話も、その心理を考える材料になります。

『The Great Crash 1929』が刊行される1955年春、株式市場が上昇していた中で、ガルブレイスは米上院の公聴会へ呼ばれ、過去の市場経験について証言しました。その証言中に市場が下落すると、一部の投資家から下落の責任を負わされ、身体的危害をほのめかす手紙や、病気や早死にを願う内容まで送られています。その後、バーモント州でスキー中に脚を骨折すると、それを喜ぶ趣旨の手紙まで届いたと本人は振り返っています。

これは1929年当時にガルブレイスが市場参加者から反感を受けた話ではなく、1929年の暴落を研究した人物が、1955年の上昇相場の中で過去の経験を語った際に起きた出来事です。

もちろん、彼が市場を下落させたわけではありません。

それでも、自分の資産が急に減った人にとっては、慎重な発言をした人物が感情の行き先になりました。損失そのものでも苦しいところへ、「自分が信じてきた考えが間違っていたのではないか」という疑いまで加われば、発言内容を検討するより、発言者そのものを否定したくなることがあります。

1929年にはロジャー・バブソンも大きな下落の可能性を警告しており、Federal Reserve Historyにも、1929年9月5日のバブソンの警告と、その後に起きた急落が記録されています。

ただし、ここから弱気な人を信じればよいという結論にはなりません。

何年も暴落を予測し続ければ、そのうち一度は当たる可能性がありますから、強気派を疑う代わりに弱気派を盲信したのでは、依存する相手を変えただけです。

重要なのは、自分にとって不都合な情報が出たとき、その内容を確かめる前から相手を否定したくなっていないかを見ることでしょう。

警告をそのまま受け入れる必要はありませんが、その警告へ強い不快感を覚えたときには、自分が何を守ろうとしているのかを考える価値があります。

金融市場の記憶は意外に短い

ガルブレイスは、金融の世界では過去の出来事に対する記憶が長く残りにくく、一定の時間が経つと、以前にも試された考え方が新しい発見のように受け入れられるという趣旨の皮肉を述べています。

同じ資産や同じ金融商品が、そのまま再登場するわけではありません。

土地、株式、投資会社、新技術など、対象は変わります。それでも、「今回は以前とは違う」「新しい仕組みだから過去の尺度では測れない」「長期間成功してきたのだから今後も大丈夫」という説明は、形を変えながら繰り返されます。

過去のバブルを知る意味は、現在を過去と同じものだと決めつけるためではありません。見た目の違う投資対象の中で、人間の判断や信用の使われ方に似た構造が現れていないかを確かめるためにあります。

フロリダ土地投機で価格上昇が新しい根拠になった

1929年の株式熱狂に先立ち、アメリカではフロリダの土地投機が大きく膨らんでいました。

フロリダには温暖な気候という現実の魅力があり、保養地や観光地として発展するという期待にも一定の根拠があります。交通網が整い、所得が増え、寒い地域から温暖な土地へ移住したい人が増えるのであれば、将来の土地需要が強まるという見通しには筋が通っていました。

フロリダ大学が公開する1920年代の資料でも、当時の土地ブームの中で多くの人が州内へ入り、土地投機が過熱する様子を確認できます。そこには、現地を訪れた人物が、立派な名前を付けられた開発地でも実際にはほとんど何も存在しない土地が売られている状況へ強い疑念を示した書簡も残っています。

最初に土地を買った人たちは、何の価値もないものへ理由なく飛びついたわけではありません。

ところが、実際に価格が上昇し始めると、判断の順番が変化します。

本来なら、立地、交通、将来人口、利用可能性、賃料などを確認し、それらと現在価格を比較するはずです。しかし、周囲で土地を買った人が次々に利益を得ている状況では、細かな条件よりも「実際に値上がりしている」という事実のほうが強い説得力を持つようになります。

当初は将来性があるから価格が上がると考えていたのに、そのうち価格が上がっているのだから将来性があるに違いないと考えるようになるわけです。

値上がりを見た新しい投資家が市場へ参加すれば、その需要によってさらに価格が上昇します。すると、新たな値上がりが最初の見通しの正しさを証明したように感じられ、疑いより確信が強くなっていきます。

利用価値より次の買い手を見る

土地には、本来なら住居を建てる、店舗や工場を運営する、農業へ利用する、賃料収入を得るといった価値があります。

自分が長く所有するのであれば、その土地から得られる便益や収益を考え、現在価格と比べるでしょう。

しかし、数か月後にもっと高く売れると信じているなら、現在の利用価値はそれほど重要ではなくなります。たとえ使い道が乏しくても、自分より高い価格で購入する人が次に現れると考えれば、現在の価格で買う理由を作れるからです。

ここでは、土地の価値を見て価格を判断するのではなく、価格上昇を見て土地の価値を推測する方向へ思考が変わります。

資産そのものが何を生み出すかより、次の買い手がいくら払うかを重視し始めたとき、価格上昇が価格上昇の根拠になりやすくなります。

少ない自己資金が成功を大きく見せる

当時のフロリダでは、購入価格の一部を手付金として支払い、残額を決済する前に契約上の権利を次の買い手へ転売するような取引も行われていました。

少ない自己資金で大きな金額の土地を動かせれば、価格が上昇している間には、自己資金に対する利益が非常に大きくなります。

周囲で短期間に大きな利益を得た人が現れれば、その成功そのものが強い宣伝になります。

慎重に貯金を続けている人から見れば、土地投機へ参加した知人の資産だけが急速に増えていくため、「危険だから参加しない」という判断が、時間の経過とともに「自分だけ機会を逃している」という焦りへ変化しても不思議ではありません。

しかし、価格が下落した場合には、同じ仕組みが反対方向へ働きます。

上昇時には成功を華やかに見せていた少ない自己資金での取引が、値下がりが始まった途端、損失を急速に大きくする構造へ変わるのです。

悪材料ほど認めにくくなる

1926年には大規模なハリケーンが南フロリダを襲い、多数の犠牲者と甚大な被害が出ました。Florida Memoryは、1920年代の土地ブームによって急速に成長していた南フロリダがこの災害で大きな打撃を受け、その後、不動産バブルの崩壊と地域経済の深刻な低迷へつながったと説明しています。

すでに多額の資金を土地へ投じている人から見れば、災害による直接被害だけではなく、フロリダそのものの評判が悪化し、土地需要が減ることも大きな不安だったでしょう。

悪い情報を正面から受け入れることは、資産価格が下がる可能性を認めるだけではありません。それまで正しかったと思ってきた自分の判断も、間違っていたかもしれないと認めることになります。

しかも、過去にも一時的な値下がりがあり、その後回復した経験を持っていれば、「今回も一時的な悪材料かもしれない」と考えることにも理由があります。

投資では、短期的な悪材料へ驚いて売却した直後に価格が回復し、長期的な利益を逃すこともあります。そのため、自分が冷静な長期判断として動じていないのか、それとも認めたくない事実を長期という言葉で遠ざけているだけなのかは、その瞬間には簡単に区別できません。

盲信の危うさは、強い確信を持つことだけではなく、自分が何を疑わなくなっているのかを自覚できなくなるところにあります。

RCAが示した技術の成功と投資価格の違い

1920年代のアメリカで、現在の先端テクノロジー株に近い存在だったのがラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ、RCAです。

当時のラジオは、本物の技術革新でした。

ニュースや音楽、娯楽を家庭へ届け、遠く離れた場所に暮らす人々が同じ情報を共有できるようになります。RCAも、その新しい産業の中心にいた企業であり、1926年にはNBCの事業基盤にも関わり、1929年にはVictor Talking Machine Companyを取得するなど事業を拡大していました。

つまり、RCAへ期待した投資家が、存在しない未来を夢見ていたわけではありません。

ラジオが社会を変えるという見通しそのものは、その後の歴史によって現実になりました。

だからこそ、「この会社は時代を変えるのだから、従来の企業と同じ尺度で評価するべきではない」と考える人が現れても不思議ではありません。成長初期の企業なのだから、現在利益だけを見て割高と判断するほうが間違っているという説明も、新技術が急速に普及している最中には説得力を持ちます。

ところが、技術について正しいことと、株価について正しいことは別です。

1932年5月14日の米議会記録には、RCA株が1929年に114.75ドルで取引されていたのに対し、1932年5月13日には3.75ドルまで低下していたという数字が掲載されています。これは約97%の下落に相当し、別の歴史資料でも1932年に2ドル台まで下落した値動きが記録されています。

1929年 1932年5月13日
114.75ドル 3.75ドル

それでも、ラジオという技術が失敗したわけではありません。

RCAという企業も存続し、ラジオはその後の社会へ広く普及しました。

つまり、社会を変える技術を正しく見抜いた人でも、その技術を担う企業の株へどの価格を払うべきかという点では、大きく間違える可能性があります。

技術が成功すること、企業が成長すること、その企業の株を現在価格で購入した投資家が成功することは、それぞれ別の問題です。

現在のAIについて考える場合にも、この区別は重要でしょう。

AIが今後も社会を大きく変える技術だとしても、それだけですべてのAI関連企業がどの価格でも魅力的な投資対象になるわけではありません。反対に、関連株が大幅に下落したとしても、AIという技術そのものが失敗したことにはならないでしょう。

本当に優れた技術ほど多くの人が将来性を理解するため、その期待がすでに価格へ強く反映されている可能性もあります。

投資では、「良い技術なのか」という問いの後に、「その将来への期待へ現在いくら払うのか」という別の問いを置く必要があります。

専門家への信頼と投資会社の熱狂

1920年代後半には、投資会社や会社型の投資信託も急増しました。

ただし、これらは現在の低コストインデックスファンドとは構造も性格も大きく異なります。

当時の人気を支えたものの一つは、金融の専門家なら一般の投資家には分からない情報や能力を持っているという期待でした。

自分一人では多くの企業を評価できなくても、優秀な専門家へ資金を任せれば、自分より上手に運用してくれるだろうと考えることには合理性があります。私たちは医療や法律でも、自分より専門知識を持つ人へ判断の一部を委ねているため、専門家を信頼すること自体がおかしいわけではありません。

危うさが生まれたのは、その信頼そのものへ大きな価格が付き始めたときです。

投資会社が保有している証券の価値を合計すると100しかないのに、その会社の株式が150で取引されることがありました。差額の50は、優秀な運用者が将来さらに利益を生み出してくれるという期待へのプレミアムとして受け入れられていました。

優れた運用者に価値があることと、その能力へどれほど高い価格を払ってもよいことは同じではありません。しかし市場が上昇し続けている間は、高い価格で買った投資家まで利益を得られるため、その違いが見えにくくなります。

金融商品を作るだけで価値が増えるように見える

保有資産100の会社が150で評価されるのであれば、新しい投資会社を作り、そこへ100の資産を入れるだけで、市場から150の価値を認めてもらえるように見えます。

そこで金融会社は新しい投資会社を次々と設立しました。

ゴールドマン・サックスでは1928年12月にGoldman Sachs Trading Corporationが設立され、その成功を受けて1929年にはShenandoah CorporationとBlue Ridge Corporationが作られました。Goldman Sachs自身の歴史資料は、ShenandoahとBlue Ridgeについて、相互に絡み合った高レバレッジの所有構造を持っていたと説明しています。

市場に大きな需要があるのであれば、新しい商品を供給することには企業側の合理性があります。

ところが、それらの投資会社にはレバレッジも組み込まれていました。

普通株だけではなく、優先株や社債によって追加資金を調達し、その資金も株式へ投じます。さらに、ある投資会社が別の投資会社へ出資し、その会社がまた別の投資会社を保有するような多層構造まで形成されました。

資産価格が上昇している間には、下の層で生まれた利益が上の層でも増幅されます。

高い運用実績を見た投資家は、「やはり専門家へ任せた判断は正しかった」と感じ、さらに資金を入れたくなるでしょう。すると、新しい資金が市場価格を押し上げ、その上昇が専門家への信頼をまた強めます。

こうして、専門家への信頼、資金流入、価格上昇が互いを補強していきました。

暴落を増幅するのは悲観だけではない

レバレッジが危険なのは、単に損失率を大きくするからではありません。

価格が下落したとき、自分の考えとは無関係に売却を迫られる可能性が生まれるからです。

証拠金取引をしている投資家は、保有株が大きく値下がりすると追加の担保を求められます。

十分な現金を持っていれば、保有を続けることもできるでしょう。しかし資金を用意できなければ、本人が「長期的には戻る」と強く信じていたとしても、ポジションを減らさなければなりません。

その売却によって株価がさらに下がれば、別の投資家にも追加担保が必要になります。そこでまた売却が発生すると価格が一段と下がり、さらに別の投資家へ影響が広がります。

暴落を増幅するのは悲観だけではない 保有株が大きく値下がりすると 追加の担保を求められます 資金を用意できなければ ポジションを減らさなければなりません その売却によって株価がさらに下がれば 別の投資家にも追加担保が必要になります
その売却によって株価がさらに下がれば、別の投資家にも追加担保が必要になります。そこでまた売却が発生すると価格が一段と下がり、さらに別の投資家へ影響が広がります。

投資会社でも同じです。

保有資産が下落しても社債などの債務は同額で残るため、普通株主へ帰属する価値は資産価格以上の速さで減少する場合があります。

ガルブレイスが取り上げたShenandoah株は、発行後に大きく上昇したものの、1929年末には8ドル台へ下落し、その後は50セント程度まで低下したとされています。

中に保有されていた企業がすべて消滅したわけではありません。

残った資産価値が債権者や優先株主へ先に配分されれば、普通株主の持分にはほとんど価値が残らない場合があるのです。

レバレッジの本当の怖さは、損失を大きくすることだけではなく、価格が戻るまで待つという選択肢まで奪うことにあります。

この違いを理解すると、暴落を見る視点も変わります。

下落したため不安になり、自分の意思で売却する人だけなら、反対側には「この価格なら安い」と考える買い手が現れる可能性があります。

しかし、価格下落そのものによって強制売却が増える構造では、企業価値に対する見方とは無関係に売り注文が市場へ出てきます。

大きな暴落を考えるときには、何人が悲観しているのかだけではなく、何人が売りたくないにもかかわらず売らなければならない状態なのかを見る必要があります。

1929年の暴落は一日で完成していない

1929年の大暴落という言葉から、ある一日に突然すべてが崩れた光景を想像しがちですが、実際の変化はもっと段階的でした。

ダウ工業株30種平均は1929年9月3日に381.17でピークを付け、その後下落へ転じます。下落は1929年10月だけで終わらず、1932年7月8日には41.22まで低下し、1929年の高値を再び上回ったのは1954年11月でした。

後から振り返れば、1929年9月3日が大きな転換点だったことは分かります。

しかし、その時点で市場参加者全員が上昇相場の終了を理解したわけではありません。

長く上昇してきた市場では、最初の下落を大暴落の始まりと考えるより、安く買える機会だと考えるほうが自然な場合があります。それまで何度も下落後に価格が戻っていたなら、なおさらでしょう。

押し目で買い増し、その後実際に価格が戻るという経験を繰り返した人ほど、次の下落でも同じ行動を取りやすくなります。

市場環境が変化しても、人の判断は以前の成功体験からすぐには切り替わりません。

10月に不安が強まった後も、企業の基礎条件は健全であり、最悪期は過ぎたという楽観的な見方が消えたわけではありませんでした。

含み損を抱える人にとって、「もう少し待てば戻る」という説明は大きな意味を持ちます。損失を確定する苦しさに加え、自分が売却した直後に相場が回復する恐怖もあるため、安心できる説明を信じたくなるでしょう。

10月24日のブラックサーズデーから29日のブラックチューズデーへかけて売買が急増し、追証へ対応できなくなった投資家の担保株も市場へ放出されました。ここでは単なる悲観だけではなく、信用取引やレバレッジによって、値下がりが次の売却を生む構造が働いています。

情報が遅かった1929年と情報が速い現在

当時は取引が殺到すると、株価を伝えるティッカーが実際の取引より大きく遅れることがありました。

投資家は、自分が保有する株の現在価格を正確に把握できないまま判断しなければなりません。何が起きているのか分からない時間が長いほど、人は悪い状況を想像しやすくなります。

現在では、状況が正反対に見えるでしょう。

株価もニュースもほぼ瞬時に届き、世界のどこかで起きた出来事が短時間で大量の人へ共有されます。

しかし、情報が速くなったから感情まで安定したわけではありません。

同じニュースと似た解釈が短時間で広がれば、不安や期待まで似たタイミングで動く可能性があります。1929年には情報が届かないことが恐怖を強めましたが、現在では情報が瞬時に届くことによって、多くの人の反応が短時間へ集中することがあります。

技術は大きく変化しても、市場参加者が互いの行動を見ながら感情を変化させる構造までは消えていません。

株価暴落と世界恐慌を単純につなげない

1929年の株式市場の崩壊と、その後の世界恐慌を一直線の因果関係として説明すると、経済史を単純化しすぎます。

米国の景気後退は1929年8月に始まっており、10月の株価暴落より前に実体経済はすでに縮小へ転じていました。

Federal Reserve Historyも、大恐慌を1929年の株価暴落だけから説明するのではなく、1929年に始まった景気後退、株価崩壊、1930年から1931年にかけての銀行恐慌、その後1931年から1933年に広がった国内外の金融危機を一連の過程として整理しています。

そのため、1929年の株価暴落を大恐慌の唯一の原因や単一の引き金として捉えるのではなく、危機の過程にあった重要な出来事の一つとして見るほうが適切でしょう。

ガルブレイスは、当時の経済を脆弱にした要素として、所得分配の偏り、企業や投資会社の財務構造、銀行制度、国際金融の問題、経済政策などを挙げています。

所得分配については、高所得層に所得が集中していれば、資産価格下落によって富裕層の投資や高額消費が減少した際、需要全体へ大きな影響が出やすいという見方があります。ただし、所得格差を大恐慌の原因としてどの程度重視するかについては経済史上さまざまな議論があり、確立した単一原因として扱うべきではありません。

企業や投資会社のレバレッジは、資産価格下落の影響を財務面から増幅します。

債務返済を優先するために設備投資や配当が削られれば、別の企業や家計にも影響が広がるでしょう。

さらに重要だったのが銀行危機です。

銀行破綻への不安から預金者が現金を引き出し、銀行も貸出より流動性の確保を優先すれば、信用供給が縮小します。Federal Reserve Historyは、1930年秋から始まった銀行恐慌によって金融環境が悪化し、それまで回復の可能性もあった景気が深刻な大恐慌へ進んだ経緯を説明しています。

こうして見ると、大恐慌は一つの原因から突然生まれたのではなく、景気後退、株価下落、銀行危機、信用収縮、デフレ、国際金融制度、政策対応などが相互に影響しながら深刻化したと考えるほうが実態に近いでしょう。

同じ株価下落でも、それがどこまで社会全体の危機へ発展するかは、下落率だけではなく、金融機関や企業、家計がその衝撃を吸収できる構造を持っているかによって変わります。

好況時には問題まで見えにくくなる

景気がよく、資産価格が上がり続けているときには、問題そのものが存在しないように感じられる場合があります。

新しい資金が流れ続けていれば、小さな損失があっても別の利益で隠すことができ、企業が無理な投資をしていても保有資産の価格上昇によって豊かに見えることがあります。不適切な資金利用や不正が存在していても、資金繰りが順調な間は表面化しないかもしれません。

ガルブレイスは、好況期には横領や不正による損失さえ見えにくくなり、不況へ転じたときに初めてそれらが表面化する現象を「ベズル」という考え方で表現しました。

価格が上昇している間は、多くの人が豊かになっているように感じられます。

しかし資金流入が止まり、損失を誰が負担しているのかが明らかになれば、その豊かさの一部が錯覚だったと分かる場合があります。

利益が出ていることと、その利益を生み出している仕組みが健全であることは別です。

日本の土地バブルで同じ構造を確かめる

1929年のアメリカでは、株式市場、投資会社、証拠金取引という形で判断の同質化と信用の増幅が表れました。

それとは異なる金融制度と資産でも似た構造が生じるのかを見るうえで、日本のバブル経済は重要な比較対象になります。

1980年代後半の日本では、土地価格が長期間上昇してきた経験を背景として、地価は大きく下がらないという土地神話が強くなっていました。

日本銀行は後年、当時は「地価が下がることはない」という土地神話が根強く、地価上昇、土地を保有する企業の株価、その企業との株式持ち合い、土地を担保とした融資拡大などが、表面上は互いに辻褄が合って見える状況があったと振り返っています。

ここでも、最初から何の根拠もなかったわけではありません。

戦後の日本経済は成長を続け、都市部には人口や企業が集中しました。土地には供給上の制約もあり、長い期間にわたって土地を買った人が実際に値上がり益を得ていれば、「土地は有利な資産だ」という経験則には現実の裏付けがあります。

だからこそ、土地神話は強くなりました。

最初から根拠のない迷信なら、長期間にわたって社会全体へ浸透することは難しいでしょう。

危うさが生まれるのは、「これまで長く上昇してきた」という観察が、「これからも大きく下がらない」という未来の断定へ変化したときです。

さらに、「いずれ上がるのだから、現在価格が多少高くても問題ない」と考えるようになれば、土地が実際にどれほどの収益や便益を生み出すのかを確認する必要まで薄れていきます。

盲信とは、最初から何の根拠もないものを信じることだけではありません。過去に何度も正しかった考えを、条件を確認せず未来へ延長することからも生まれます。

土地をどう使うかより次の買い手を見る

土地には本来、利用価値があります。

住宅を建てたり、店舗や工場を運営したり、賃貸して収益を得たりすることで、その土地から便益や収入が生まれます。

通常なら、こうした将来収益や利用価値を考えながら、現在価格が妥当なのかを判断するでしょう。

ところが、長期間にわたって値上がりが続くと、問いそのものが変わります。

その土地を自分がどのように使うのかより、数年後にもっと高く売れるかどうかが重要になるからです。

現在から振り返れば、実際の用途や収益性だけでは高い価格を説明しにくい土地まで取引されていました。

それでも買い手が現れるのは、自分が最後の所有者になるつもりではないからでしょう。

利用価値が乏しくても、自分より高い値段で買う人が次に現れると考えれば、現在価格を正当化できます。

この心理は1920年代のフロリダにも通じています。

将来の値上がりを期待して資産を買うこと自体は投資では珍しくありませんが、その将来価値の根拠が資産そのものではなく、次の買い手の存在だけへ近づくほど、価格は自己参照的になっていきます。

担保価値と融資が互いを押し上げた

日本のバブルを、思考停止した個人が土地を買い続けた結果としてだけ説明すると、重要な構造を見落とします。

銀行にも融資を増やす理由があり、企業にも土地を取得する事情がありました。

土地価格が上昇すれば、すでに保有している土地の担保価値も高くなります。

金融機関から見れば、担保余力が増えた借り手へ追加融資を行うことには理由があります。

その融資によって新しい土地が購入されれば需要が増え、土地価格がさらに上昇します。価格上昇によって担保価値がもう一段高くなれば、次の融資余力も増えるでしょう。

ここでは、価格上昇が信用を増やし、信用の増加が再び価格を押し上げます。

担保価値と融資が互いを押し上げた 土地価格が上昇すれば すでに保有している土地の担保価値も高くなります 追加融資を行うことには理由があります その融資によって新しい土地が購入されれば需要が増え 土地価格がさらに上昇します 価格上昇が信用を増やし、信用の増加が再び価格を押し上げます
ここでは、価格上昇が信用を増やし、信用の増加が再び価格を押し上げます。

一つの銀行だけを見れば、価値が上昇している担保へ融資することには合理性があります。

ある企業から見ても、競争相手が土地を取得し、含み益によって財務的な余裕を増しているように見える状況で、自社だけ何も買わないことに不安を感じるかもしれません。

慎重な金融機関だけが融資を絞れば、優良顧客を競合へ奪われるという恐れもあります。

つまり、全員が何も考えていなかったわけではありません。

それぞれが自分の立場で合理的に行動しようとしたにもかかわらず、その判断式の中へ「土地価格は大きく下がらない」という似た前提が入っていました。

日本銀行も、土地神話が金融市場へ持ち込まれることで、土地を保有する企業の評価や土地担保融資など、複数の市場行動が互いに整合して見えてしまった状況を指摘しています。

取引する主体が分散していても、判断を支える前提が一つに集中すれば、社会全体では巨大な同一ポジションを持っているような状態になり得ます。

そして、地価は大きく下がらないという前提が崩れれば、それまでの循環は反対方向へ動きます。

担保価値が下がると金融機関は融資へ慎重になり、資金を得にくくなれば新しい買い手が減ります。買い手が減って地価がさらに下がれば、担保価値ももう一段低下するでしょう。

上昇時に好循環と見えていた構造が、そのまま下落時の悪循環へ反転します。

個人の合理性が市場全体のリスクへ変わる

ここまでを見ると、バブルを「間違った人が大量にいた結果」と考えるだけでは不十分な理由が見えてきます。

一人にとって合理的な行動を積み重ねても、社会全体で安全な結果になるとは限らないからです。

あるファンドマネージャーが、急上昇している大型株をすでに高すぎると感じている場面を考えてみます。

それでも、その銘柄を持たずに市場平均へ大きく負ければ、顧客から資金を引き揚げられるかもしれません。

自分だけ早い段階で現金を増やした後、さらに相場が上昇すれば、顧客から見れば「ほかのファンドは利益を出しているのに、なぜここだけ機会を逃したのか」という不満が生まれるでしょう。

そう考えれば、長期的には危険だと感じていても、短期的には市場へ参加するほうが職業上合理的になる場合があります。

だから、バブルが続いているからといって、参加者全員がその価格を適正だと心から信じているとは限りません。

高すぎるという違和感を持ちながらも、「まだ上がるだろう」「自分は崩れる前に売れるだろう」と考え、参加を続ける人もいるでしょう。

危険を感じていることと、参加しないことは同じではありません。自分だけは間に合うという期待も、群集行動を長引かせる力になります。

規律あるリスク管理まで同じ方向へ動く

下落局面では、さらに別の問題が現れます。

ある投資家が、自分の資産を守るため、一定の損失が出たら機械的に売却するルールを決めていたとします。

感情に流されず損失を限定する方法として、一人の投資家にとっては規律ある行動でしょう。

機関投資家も、VaRなどのリスク指標やポジション上限を使い、組織として許容できないリスクを抱えないよう管理します。

問題は、多くの参加者が似た基準や似た市場環境を見ながら、同じタイミングでリスクを減らそうとした場合です。

価格が一定水準を下回ったところで複数の主体が売却すれば、その売りによってさらに価格が下がります。その下落が別の投資家の売却条件にも触れれば、追加の売りが発生するでしょう。

一人ひとりは、自分を守ろうとしているだけです。

ところが、多くの人が同じ方法で自分を守ろうとした結果、市場全体では売却が同じ方向へ集中し、誰も希望した価格で逃げられなくなる可能性があります。

市場の危機は、無謀な行動だけではなく、合理的で規律ある行動が同じ方向へ集中することでも増幅されます。

投資の世界で相関が重要なのは、保有資産だけではありません。人間の判断、資金調達方法、売却条件にも相関が生まれることがあります。

資産の分散と戦略の分散と思考の分散

投資では分散が重要だと繰り返し言われますが、分散という言葉を一つにまとめると見えなくなるものがあります。

まず、資産の分散があります。

一つの企業、一つの業種、一つの国だけへ資金を集中させず、多くの銘柄や地域へ配分すれば、特定企業の倒産や一国固有の問題から受ける影響を小さくできます。

次に、投資戦略の分散があります。

市場には企業価値を重視する人、成長率を見る人、短期的な価格変化を追う人、長期保有する人、価格差を利用する人、経済環境によって資産配分を変える人など、異なる目的を持つ参加者が存在します。

ある人には高すぎる価格でも、別の時間軸を持つ人には魅力的に見えるかもしれません。この違いがあるからこそ、誰かが売ろうとするとき、その反対側で買おうとする人が現れます。

そして、ここでは個人が自分の投資判断を点検するための便宜的な表現として、もう一つを思考の分散と呼んでみます。

これは金融学で確立された資産配分上の専門用語として使うのではなく、自分の投資判断が一つの未来だけへ依存しすぎていないかを確認するための考え方です。

世界経済は今後も成長する、米国企業は高い競争力を維持する、現在の国際金融秩序は大きく変化しない、といった前提を置くこと自体が問題なのではありません。

何らかの未来像を持たなければ投資判断はできないからです。

確認したいのは、それらが条件付きの見通しであることを忘れ、自然法則のように扱っていないかという点です。

資産が数千銘柄へ分散されていても、自分の投資判断が一つの未来だけを前提としているなら、資産の分散とは別の場所に集中が残っている可能性があります。

ただし、考え方が似ている人が多いだけで、市場が直ちに不安定になるわけではありません。

その前提が実際の大きなポジションへ反映されているのか、借入が使われているのか、資金を引き揚げる条件が似ているのか、市場に十分な流動性があるのかによって、システム全体への影響は変わります。

そのため、より正確には、前提、資金構造、売却条件まで似るほど、市場参加者の行動が同じ方向へ動く可能性も高まりやすいと考えるほうがよいでしょう。

同じ商品を保有していても、目的、時間軸、資金事情、売却条件が異なれば、相場が動いたときの行動まで同じになるとは限りません。

オルカンを多くの人が買うことは危険なのか

ここまで判断の同質化について考えると、「それなら、多くの人がオルカンを買っている現在も同じではないか」と感じるかもしれません。

しかし、商品そのものと、その商品をめぐる投資家の考え方は分けて考える必要があります。

eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)は、MSCI ACWIへの連動を目指し、日本を含む先進国と新興国の株式へ幅広く投資する商品です。三菱UFJ銀行の商品情報でも、MSCIオール・カントリー・ワールド・インデックスへの連動を目指し、原則として為替ヘッジを行わない商品であることが確認できます。

たとえば2026年4月30日時点のMSCI公式ファクトシートでは、MSCI ACWIは2,514銘柄で構成され、米国が63.41%、情報技術セクターが28.69%、上位10銘柄が24.62%を占めていました。世界の大型株と中型株へ幅広く投資する指数ではありますが、各国、各産業、各企業へ均等に資金を配分する仕組みではありません。

銘柄 米国 情報技術セクター 上位10銘柄
2,514銘柄 63.41% 28.69% 24.62%

時価総額の大きい市場や企業ほど指数内で大きな比率を占めるため、世界分散でありながら、米国企業や巨大企業の値動きから比較的大きな影響を受ける構造があります。

これはオルカンの欠陥という意味ではなく、時価総額加重型の世界株指数を利用するうえでの性質です。

また、一般的な全世界株式インデックスファンドは、1929年の投資会社のように何重もの借入を使って普通株主の値動きを増幅させる商品ではありません。

そのため、多くの人がオルカンを買っているという事実だけから、オルカンそのものがバブルだと結論づけることはできません。

世界分散でも市場全体のリスクは残る

世界中の企業へ投資していると聞けば、かなり安全な印象を持つかもしれません。

実際、特定企業の倒産や一つの国だけに集中するリスクを小さくするという意味では、大きな分散効果があります。

しかし、株式市場という資産クラス全体のリスクまで消えるわけではありません。

世界的な金融危機や景気後退が起きれば、多くの国の企業利益が同じ時期に悪化し、株価も同時に下落する可能性があります。

世界分散とは、世界株式市場のリスクをなくす方法ではなく、特定企業や一部地域への集中を減らしながら、世界の株式市場全体が持つリスクを引き受ける方法と考えたほうが実態に近いでしょう。

この違いを理解したうえでオルカンを選ぶ人と、「世界へ分散しているから大きく下がる心配はほとんどない」と考える人では、同じ商品を持っていても判断の土台が違います。

危ういのは商品より無条件の信頼

同じオルカンを持つ二人を考えてみます。

ある人は、世界株でも大幅な下落や長期間の停滞があり得ることを理解し、自分が資金を必要とする時期や収入状況、価格変動への耐性も考えたうえで、この方法を選んでいます。

別の人は、ネットで何度も「とりあえずオルカン」という考え方に触れ、詳しい仕組みや下落リスクをほとんど確認しないまま購入しました。

相場が上昇している間、この二人の違いはほとんど見えません。

どちらも同じ基準価額の上昇を経験し、同じように利益が増えるため、後者の人は「細かいことを考えなくても正解だった」と感じ、以前より強くその考えを信じる可能性があります。

違いが現れやすいのは、大幅な下落が起きたときでしょう。

SNSを開けば、今回は過去と違う、世界株はもう戻らない、インデックス投資の時代は終わった、といった強い意見が増えるかもしれません。

自分なりの保有理由を持つ人なら、それらの情報が自分の前提を本当に崩すものなのかを考えられます。

一方、購入した理由そのものを他人から借りていた人は、売るべきかどうかを判断する理由まで他人へ求めやすくなるでしょう。

買う理由を他人へ預けていると、売る理由まで他人へ預けやすくなります。

危ういのはオルカンそのものではありません。

合理的な投資手法が、いつの間にか「これなら絶対に大丈夫」「長期なら条件を考える必要はない」という無条件の信念へ変わることです。

パッシブ投資と市場の価格発見

インデックスファンドのようなパッシブ運用では、一社ずつ企業価値を分析し、その企業が割高か割安かを判断して組入比率を決めるわけではありません。

指数のルールへ従って幅広い企業を保有するため、個人投資家は何千社もの決算を自分で読み、世界中の経営者や競争環境を評価し続けなくても、市場全体へ比較的低いコストで参加できます。

これは大きな利点です。

一方、市場全体という視点へ移ると、別の問いが出てきます。

インデックス投資家が利用している市場価格そのものは、誰かが企業を分析し、高いと考えて売り、安いと考えて買うことで形成されているからです。

BISは、パッシブ投資には低コストや分散などの利点がある一方、個別証券について企業固有の情報を調べる必要性が小さいため、パッシブ運用の比率が高まれば、企業固有情報が価格へ反映されにくくなる可能性や、指数構成銘柄間の値動きの連動性が高まる可能性を論じています。

ここには一つの逆説があります。

市場価格を自分で細かく分析しなくても投資できる仕組みは、市場価格を分析する参加者がほかに存在することで成り立っています。

極端に、世界中の投資家が全員まったく同じ指数だけを買い、誰も企業の事業価値や財務状態を分析しなくなったとすれば、業績が急速に悪化してもそれを理由に売る主体が減り、反対に極端な割安状態でも企業価値を調べて買う主体が少なくなるでしょう。

ただし、現実には価格の歪みが大きくなるほど、それを利用して利益を得ようとするアクティブ投資家の機会も増えます。

BISも、価格の非効率性が大きくなれば情報を集めて取引するアクティブ運用の利益機会が増えるという反作用を指摘しており、パッシブ投資の拡大と価格発見機能の低下を一直線の関係として扱ってはいません。

したがって、パッシブ投資が増えれば市場が壊れるという単純な結論にはなりません。

重要なのは、市場に異なる目的と判断方法を持つ参加者が残り、価格について異なる意見がぶつかり続けていることです。

同じ商品を持つことと同じ行動を取ることは違う

パッシブ投資について考える際には、どれだけの株式を保有しているかという問題と、日々どのように売買しているかという問題も分ける必要があります。

大きなインデックスファンドが大量の株式を保有していても、その全株式を毎日取引しているわけではありません。

一方、市場価格は、その瞬間に市場へ出ている売り注文と買い注文がどこで折り合うかによって形成されます。

そのため、パッシブ運用の保有残高が増えた割合と同じだけ価格発見機能が失われる、と単純に考えることはできません。

また、同じインデックスファンドを保有する投資家でも行動は異なります。

短期間の値上がりを期待して買った人と、長期間の資産形成を目的として毎月一定額を積み立てる人では、下落時の対応が同じとは限りません。

定額積立を継続する人は、価格が下がった月にも同じ金額を購入するため、その局面では売り手ではなく買い手になります。

BISの分析でも、過去の市場ストレス局面ではパッシブ型投資信託の資金フローが比較的安定していた一方、ETFでは相対的に変動の大きいフローが見られたとされています。

したがって、「パッシブ投資家が増えれば、暴落時に全員が同時に売る」という説明は適切ではありません。

市場全体の危うさを見るなら、同じ商品を持っている人数だけではなく、その人たちがどの資金で保有し、どの程度の期間を想定し、どの条件で売却するのかまで見る必要があります。

ネット時代の問題は情報不足より情報の偏り

1929年や日本のバブル期と現在で大きく違うものの一つが、情報環境です。

現在では企業の決算、経済統計、金融商品の資料、専門家の分析、個人投資家の経験談まで、スマートフォン一つで大量に確認できます。

これだけ多くの情報へアクセスできるなら、昔よりも投資家の判断は多様になりそうに思えます。

しかし、情報量が増えることと、異なる視点へ触れることは同じではありません。

ここでは、検索エンジンとSNSや動画サービスの推薦を、同じ仕組みとして扱わないことが重要です。

Googleは検索順位について、多数のランキングシステムやシグナルを用いて、検索内容に対して関連性や有用性の高い結果を表示すると説明しています。そのため、「多くの人が読んでいるページだから上位に出る」という単純な人気順の仕組みとして捉えるのは適切ではありません。

一方、検索する側がどのような問いを入力するかによって、触れる情報が偏ることはあります。

たとえば、オルカンについて「おすすめの理由」ばかり検索する人と、「弱点」「長期停滞する条件」「時価総額加重の特徴」といった問いも検索する人では、同じ検索サービスを利用していても目にする資料が変わるでしょう。

表示された複数の検索結果から、自分が読みたい結論のページだけを選ぶことによっても偏りは生まれます。

推薦サービスでは過去の行動が次の情報へ影響する

YouTubeのような推薦サービスでは、別の仕組みが働きます。

YouTubeは、視聴履歴、検索履歴、登録チャンネル、高評価や低評価、「興味なし」というフィードバックなどを推薦のシグナルとして利用すると説明しています。

ある人が全世界株式インデックスについて調べ、肯定的な解説動画を何本も続けて視聴したとします。

その後も似たテーマの動画が推薦されれば、画面の中では多くの発信者が同じ投資法を支持しているように感じられるかもしれません。

本人には、かなり多くの意見を比較した感覚が残るでしょう。

しかし、同じ結論を少し違う言葉で説明する動画を20本見ても、20種類の前提を比較したことにはなりません。

AI関連株でも、不動産でも、高配当株でも、金でも、同じ問題は起こり得ます。

現代の投資家が注意したいのは情報が少ないことだけではなく、大量の情報へ触れながら、自分が問いやすいこと、選びやすいこと、見続けやすいことだけで視界が埋まる可能性です。

検索と推薦は同じ仕組みではありませんが、検索では問い方と選択、推薦では過去の視聴や反応という、それぞれ異なる経路から情報の偏りが生まれる可能性があります。

ネット時代の問題は情報不足より情報の偏り 検索 問い方と選択 推薦 過去の視聴や反応 それぞれ異なる経路から 情報の偏りが生まれる可能性があります
検索と推薦は同じ仕組みではありませんが、検索では問い方と選択、推薦では過去の視聴や反応という、それぞれ異なる経路から情報の偏りが生まれる可能性があります。

有名人や多数派の結論ではなく前提を見る

著名な投資家や専門家の意見には、大きな価値があります。

何十年も市場へ関わり、多くの成功と失敗を経験してきた人から学べることは少なくありませんし、世界中の企業や経済環境を自分一人で調べ尽くすことも現実的ではありません。

したがって、有名な人の考えを参考にすること自体が問題なのではありません。

注意したいのは、その人の結論だけを自分の答えとして受け取ることです。

ある著名な投資家が、株式は長期間保有すればよいという考えを示していたとします。

その人には、株価が大幅に下落しても生活へ影響しない資産が別にあり、安定した収入もあって、長期間にわたり投資資金を取り崩す必要がないかもしれません。

一方、数年後に住宅購入や教育費を予定している家庭が、同じ言葉だけを採用した場合には事情が異なります。

資産規模、購入価格、収入の安定性、必要な生活費、損失へ耐えられる期間まで同じではないからです。

他人の結論を真似することはできても、その結論を成立させている条件まで簡単に真似することはできません。

有名な投資家の情報を参考資料の一つとして扱うのであれば、その人が何年の投資期間を前提にしているのか、どの程度の下落を想定しているのか、どれだけの流動性を別に持っているのか、どのような経済環境を前提としているのかまで見る必要があります。

結論を借りるのではなく、結論が成立する条件を調べるわけです。

多数派でも少数派でも人数だけでは判断できない

群集心理を警戒するあまり、「大勢が選んでいる投資法は危険だ」と考えることも、別の形の思考停止になります。

多数派だから正しいとは限りませんが、多数派だから間違っているわけでもありません。

インデックス投資が広く利用されている背景には、低コスト、広い分散、運用の簡便性など合理的な理由があります。

人気があるから安心するという判断と同じように、人気があるから避けるという判断も、人気そのものを根拠にしている点では似ています。

少数派であることにも、自動的な優位性はありません。

世間と反対のことを言えば独自性は出ますが、反対意見であるだけで分析が正しいことにはならないでしょう。

見るべきなのは支持者の人数ではなく、その結論がどの前提から導かれ、その前提が現在も成立しているのかという部分です。

自分の投資判断を点検する

歴史を読んだからといって、現在持っている資産をすぐ売る必要があるわけではありません。

反対に、1929年や日本のバブルとは金融制度も商品も違うから、自分には関係がないと考えて終わる必要もないでしょう。

過去の事例から現在の個人投資家が利用できるのは、次の暴落日を当てる方法ではなく、自分の判断がどの条件へ依存しているのかを確認する視点です。

ここで重要なのは、全員に同じ資産配分や現金比率を当てはめることではありません。

確認したいのは、自分がどのような条件になったとき、自分の意思とは無関係に投資判断を変えざるを得なくなるのかという点です。

自分が買っている理由を言葉にする

まず、自分が持っている資産について、なぜこれを買っているのかを自分の言葉で説明してみます。

オルカンであれば、個別企業を継続的に分析する時間がないからなのか、市場平均を長期的に上回り続けることは難しいと考えているからなのか、世界経済全体の成長へ投資したいからなのかを整理します。

理由は一つでなくても構いません。

重要なのは、理由と前提を自分自身が理解していることです。

AI関連株なら、その企業の利益成長を評価しているのか、AIという技術の将来性へ期待しているのか、それとも価格が上昇しているため参加したいのかを分けて考えると、何に賭けているのかが見えやすくなります。

不動産でも、賃料収入、利用価値、値上がり益のどれを期待するかによって確認する数字は変わるでしょう。

もし「多くの人が買っているから」「有名な人が勧めているから」という説明しか出てこないのであれば、結論を変える前に、理由を調べ直す余地があります。

自分に不利な情報も確認する

次に、自分の投資判断へ不利な材料を意識して確認します。

これは、自分の投資を否定するためではありません。

自分が信じたい説明だけを集めた結果として確信していないかを調べるためです。

全世界株式インデックスへ投資しているのであれば、構成銘柄数だけでなく、どの国、どの産業、どの巨大企業から大きな影響を受けるのかも確認できます。

MSCI ACWIのような指数は非常に多くの企業へ分散されていますが、時価総額加重であるため、リターンへの影響まですべての企業へ均等に分散しているわけではありません。

米国企業の相対的な競争力が低下した場合、大型テクノロジー企業の利益成長が市場期待へ届かなかった場合、円高が大きく進んだ場合など、自分に不利な条件も考えておけば、実際にそうした環境が訪れたときの驚きは小さくなります。

反対意見を確認した結果として、やはり同じ投資法が自分に適していると判断するなら、それで構いません。

重要なのは、反対材料を知らないために確信しているのか、それとも確認したうえで同じ結論へ戻ったのかという違いです。

自分に不利な情報を探すことは、投資判断を壊すためではなく、想定外を減らすための作業です。

売りたくないときに売る条件を確認する

バブルの歴史を学ぶと、次の暴落がいつ来るのかを知りたくなります。

相場が高すぎると感じるなら、暴落直前に売り、底値近くで買い戻せれば理想的でしょう。

しかし現実には、売る時期だけでなく、再び買う時期まで正しく判断しなければなりません。

ある投資家が市場の過熱を早い段階で見抜き、株式を売却したとしても、その後さらに一年以上相場が上昇すれば、周囲の資産は増える一方で、自分だけ利益を逃し続けます。

当初は自信を持っていたとしても、何か月、何年と自分の予想と反対の値動きが続けば、判断を疑い始めるでしょう。

そして、我慢できず高値近くで買い戻した直後に暴落が来る可能性もあります。

そのため、天井を正確に当てる能力だけへ投資計画を依存させるより、自分が予想を外した場合に何が起こるかを確認するほうが現実的です。

ある家庭で将来必要になる大きな支出が株式市場の大幅下落と重なれば、本当は保有を続けたくても現金化しなければならない場合があります。

借入や信用取引を利用している場合には、本人の長期見通しとは関係なく、追証や返済期限によってポジションを減らさなければならない可能性もあるでしょう。

さらに、経済的には売る必要がなくても、資産の大幅な減少による心理的負担が自分の想定を超えれば、当初決めた投資方針を維持できなくなることがあります。

したがって、ここで確認したいのは特定の現金比率を守ることではありません。

自分の場合、どの支出、どの借入、どの程度の価格変動が、自分の意思に反して売却しなければならない状態を作るのかを考えることです。

長期投資を続けられるかどうかは意志の強さだけで決まるのではなく、悪い時期にも判断を急がなくて済む条件を持っているかによって変わります。

考えを変える条件を先に持っておく

最後に、自分の投資判断について、どのような事実が出たら考えを見直すのかを考えておきます。

投資をする以上、何かを信じることは避けられません。

世界経済が長期的に成長すると考えなければ世界株へ投資する理由は弱くなりますし、ある企業の利益が将来増えると考えなければ、その企業の株式を買う理由も生まれません。

問題は、何かを信じることそのものではありません。

その前提が条件付きの見通しだったことを忘れ、どのような事実が出ても修正しない永久の法則へ変えてしまうことです。

日本の土地神話にも、過去の成功という根拠がありました。

だからこそ、「土地は長い間上がってきた」という観察と、「土地は今後も大きく下がらない」という断定の境界が見えにくくなりました。

世界株が長期的に成長してきたことと、将来のどの期間でも同じように上昇することは別です。

AIが重要な技術であることと、現在のあらゆるAI関連株が魅力的な価格であることも一致しません。

自分が正しいと思っているときほど、どのような事実が現れたら考えを見直すのかを残しておく必要があります。

それは、自分の判断へ自信を持たないという意味ではありません。

自分の判断を信じながら、間違っている可能性まで消さないということです。

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よくある質問

群集心理があるなら多数派の投資法は避けるべきですか

多数派であるという理由だけで、その投資法を避ける必要はありません。インデックス投資が広く選ばれている背景には、低コストや分散など合理的な理由があるため、自分の目的や投資期間にも合うと判断するのであれば、多くの人と同じ方法を選ぶこと自体は矛盾しません。

注意したいのは、「大勢が選んでいる」という事実そのものを安全性の根拠へ変えることです。多数派か少数派かではなく、その投資法を選ぶ理由と、その理由が成立する条件を自分で説明できるかが重要になります。

オルカンを多くの人が買うこと自体が危険ですか

多くの人がオルカンを購入しているという事実だけから、商品そのものや市場全体が危険だと断定することはできません。

全世界株式インデックスは多数の国や企業へ投資する仕組みを持ち、1929年の高レバレッジ投資会社や、日本の土地バブル期に見られた借入依存の投機とはリスク構造が異なります。

市場全体の脆弱性を考えるのであれば、保有者数だけではなく、投資理由、資金源、投資期間、借入の有無、売却条件などがどの程度似ているのかまで見る必要があります。

パッシブ投資家が増えると暴落時に全員が売りますか

そのようには限りません。

長期の資産形成を目的として一定額を積み立てている人であれば、株価が下落しても購入を続ける可能性があり、その局面では売り手ではなく買い手になります。

パッシブ型投資信託とETFでも資金フローの性質は同じではなく、BISの分析でも市場ストレス時の動きには違いが確認されています。したがって、同じインデックスを保有しているという理由だけで、危機時の行動まで同じだと考えることはできません。

長期投資なら暴落を気にしなくていいですか

短期的な値動きへ過剰反応しないことと、暴落の可能性を考えなくてよいことは別です。

長期投資を現実に続けられるかどうかは、投資期間だけではなく、将来必要になる資金、借入の条件、収入の安定性、価格変動への心理的な耐性などにも左右されます。

重要なのは、暴落そのものを避けることより、暴落時に自分の意思とは無関係に売却しなければならなくなる条件を理解しておくことです。

反対意見はどこまで調べればいいですか

世の中にあるすべての反対意見を読む必要はありませんし、根拠の乏しい悲観論を大量に集めても判断力が高まるとは限りません。

確認したいのは、自分の投資判断を支えている中心的な前提を、合理的に崩す可能性がある情報です。

反対材料まで確認したうえで、それでも同じ結論へ戻るのであれば、無理に投資方針を変更する必要はありません。大切なのは、反対意見を知らなかったために確信しているのか、それとも不利な材料まで見たうえで判断しているのかという違いです。

まとめ

1929年のアメリカ、日本の土地バブル、現在のインデックス投資やSNSは、それぞれ制度も金融商品も異なるため、同じ出来事として重ねることはできません。

それでも群集心理という観点から見ると、一つの共通した流れが見えてきます。

最初には、その時点なりの合理的な理由があり、その判断が成功するほど信頼が強まります。周囲でも同じ行動を取る人が増れ、価格上昇まで続けば、最初は結果でしかなかった値上がりそのものが、判断の正しさを証明する材料へ変わっていきます。

そこへ信用やレバレッジが加われば、単なる期待が大きなポジションへ変換されます。

さらに、前提だけではなく資金調達方法や売却条件まで似てくると、その前提が崩れた際には、多くの参加者が同じ方向へ動かざるを得なくなる可能性も高まります。

だからといって、オルカンを避ける必要はなく、パッシブ投資を否定する必要もありません。人気の投資法を選ぶこと自体が問題なのでもなく、少数派であることそのものに価値があるわけでもないでしょう。

群集心理という観点から注意したいのは、多くの人が同じ商品を持つことだけではなく、多くの人が似た前提に依存し、その前提が崩れたときに似た行動を取らざるを得ない状態へ近づくことです。

自分はなぜこの資産を持っているのか、その判断はどのような前提に依存しているのか、どの事実が現れたらその前提を見直すのか、そして相場が大きく動いたときにも自分で判断できる条件が残っているのか。

こうした問いへ自分の言葉で答えられるのであれば、周囲と同じ商品を保有していても、思考まで周囲へ預けたことにはなりません。

未来を正確に予測することはできませんが、自分が何を信じ、その信念がどの条件の上に成立しているのかを知ることはできます。

自分が正しいと感じているときほど、その正しさが成立する条件をもう一度確認し、間違っていたときにも考え直せる余白を残しておくこと。それが、1929年と日本のバブルから現在の投資判断へ持ち帰れる、最も現実的な教訓ではないでしょうか。

参考資料

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