行動経済学

連言錯誤とは? 身近な例でわかる「もっともらしさ」と確率判断の罠

「こちらのほうが、いかにもありそうだ」と感じたのに、確率のルールに照らすと答えは逆だった。連言錯誤とは、そんな直感と確率のすれ違いを表す現象です。人物像や原因が具体的に示されるほど、私たちは説明へ納得しやすくなりますが、「もっともらしいこと」と「確率が高いこと」は同じではありません。この記事では、まず「A」と「AかつB」の関係を身近な例で理解し、そのあとで有名なリンダ問題、代表性ヒューリスティック、日常での見抜き方、さらに研究上の議論まで順番に見ていきます。

TABLE OF CONTENTS
目次

連言錯誤とは

連言錯誤とは、事象Aよりも、そこへ条件Bを追加した「AかつB」のほうが起こりやすいと判断してしまう現象です。

確率の関係は、次の一行で表せます。

P(A \cap B) \leq P(A)

同じように、

P(A \cap B) \leq P(B)

も成立します。

つまり、「AかつB」が起こる確率は、その構成要素であるAやBの確率を上回りません。

たとえば、「ある人が会社員である」をA、「毎朝ランニングをしている」をBとしましょう。「会社員であり、毎朝ランニングもしている人」は、必ず会社員でもあります。

したがって、「会社員かつ毎朝ランニング」の範囲は、「会社員」という集合の内側に収まります。

ここで、「条件を増やせば必ず確率が下がる」と覚えるのは少し不正確です。

Aに該当するすべての場合でBも成立するなら、

P(A \cap B)=P(A)

となる可能性があります。

そのため、正確には**「条件を追加しても確率は上がらず、同じか低くなる」**と理解します。

数学だけを見ると、話はかなり単純です。

それでも人が間違えることがあるのは、実際の判断では集合の大きさだけでなく、「その説明がどれほど自然に感じられるか」まで同時に見ているからだと考えられています。

説明に具体性があり、人物像にも合い、原因から結果まで筋が通っていると、「こちらのほうがありそうだ」という感覚が強まることがあります。

そのとき、本来比べるべき「確率」が、「どちらの説明がもっともらしいか」という別の評価へすり替わる場合があります。

TverskyとKahnemanが1983年に発表した研究は、この直感的判断と確率規則のずれを検討した代表的な研究です。

連言錯誤を理解するうえで、まず覚えておきたいのは一つです。

もっともらしいことと、確率が高いことは別です。

まずは簡単な例で考えてみる

田中さんについて、次の二つの説明を考えます。

Aは「田中さんは会社員である」です。

AかつBは「田中さんは会社員で、毎朝ランニングをしている」とします。

この二つでは、どちらが成立する範囲は広いでしょうか。

会社員には、毎朝走る人もいれば、休日だけ運動する人、ほとんど走らない人も含まれます。

一方、「会社員であり、毎朝ランニングをしている人」は、その会社員全体の一部です。

会社員が100人いて、その中で毎朝走る人が20人だったとしましょう。

すると、「会社員である」に当てはまる人は100人ですが、「会社員であり、毎朝走っている」に当てはまる人は20人です。

会社員である 会社員であり、毎朝走っている
100人 20人

ここまでは迷いにくいでしょう。

では、田中さんについて、「健康への意識が高く、学生時代には陸上部に所属し、今も休日にはマラソン大会へ参加している」と聞いたらどうでしょうか。

今度は、「会社員で毎朝ランニングしている」という説明が急に田中さんらしく感じられるかもしれません。

「ああ、それなら毎朝走っていそうだ」と思うでしょう。

しかし、人物像との一致度が高まっても、集合の関係は変わりません。

「会社員かつ毎朝ランニング」は、依然として「会社員」の一部です。

連言錯誤では、この「その人らしい」という感覚が、確率判断へ入り込むことがあります。

有名なリンダ問題

連言錯誤の代表例として知られているのが、TverskyとKahnemanの1983年研究で扱われたリンダ問題です。

リンダは31歳の独身女性で、率直で非常に聡明な人物として描かれます。大学では哲学を専攻し、学生時代には差別や社会的公正の問題へ強い関心を持ち、反核デモにも参加していたという情報が提示されました。

そのうえで、リンダの現在について複数の可能性を評価します。

中心となる比較は、次の二つです。

Aは「リンダは銀行の窓口係である」です。

AかつBは「リンダは銀行の窓口係であり、フェミニスト運動に積極的である」とします。

A AかつB
リンダは銀行の窓口係である リンダは銀行の窓口係であり、フェミニスト運動に積極的である

原典では、前者に「bank teller」、後者に「bank teller and is active in the feminist movement」という表現が使われています。

日本語では「銀行員」と紹介されることもありますが、原語へ近づけるなら「銀行の窓口係」とするほうが適切です。

確率だけで考えれば、答えは明確でしょう。

フェミニスト運動に積極的かどうかに関係なく、銀行の窓口係である人はAに含まれます。

一方、AかつBに含まれるのは、その中でもフェミニスト運動に積極的な人だけです。

したがって、

P(\text{銀行の窓口係かつフェミニスト運動に積極的}) \leq P(\text{銀行の窓口係})

となります。

それでも、リンダについての人物描写を読んだあとでは、AかつBのほうに心を引かれる人がいます。

哲学を学び、社会的公正へ関心を持ち、反核デモにも参加していた。そこまで聞けば、「現在も社会運動に関わっていそうだ」と感じるのは自然でしょう。

反対に、「銀行の窓口係である」という情報だけでは、先ほどまでの人物描写とのつながりが薄く感じられます。

そのため、頭の中では、

「銀行の窓口係だけ、というのはあまりリンダらしくない」

「銀行の窓口係で、フェミニスト運動にも積極的なら人物像に合っている」

という違いが生まれます。

しかし、ここで比べるべきなのは「人物像への当てはまり」ではありません。

確率です。

「その人らしい」と感じることと、「その出来事が高確率である」ことが混ざったとき、連言錯誤が生じる可能性があります。

リンダ問題で連言錯誤が起こる理由

リンダ問題の答えを理解しても、「それでもAかつBのほうが自然に感じる」という感覚は残るかもしれません。

その感覚を考えるうえで重要なのが、代表性ヒューリスティックです。

代表性ヒューリスティックとは、ある対象について判断するとき、その対象が頭の中にある典型的なイメージとどれほど似ているかを手掛かりにする判断方法です。

本来、リンダが銀行の窓口係である確率を真剣に推定するには、職業分布などの基礎情報が必要でしょう。

ところが、そうした情報は十分に与えられていません。

さらに、私たちは日常生活で何かを判断するたびに統計資料を集め、厳密な確率計算をするわけにもいきません。

そこで、答えにくい問いが、より答えやすい問いへ置き換わることがあります。

「リンダが銀行の窓口係である確率はどれくらいか」

という問いではなく、

「どちらの説明がリンダらしいか」

を判断するわけです。

リンダの人物描写は、「フェミニスト運動に積極的」という情報と調和しやすいため、その条件が追加されると「ああ、この人ならありそうだ」という感覚が強まります。

ここで注意したいのは、代表性を手掛かりにすること自体が常に誤りなのではない点です。

人は限られた情報の中で素早く判断する必要があり、典型的な特徴や過去の経験を利用することには実用性があります。

問題になるのは、「その人らしい」という評価を、そのまま「高確率である」と置き換えてしまう場合です。

「この人なら確かにありそうだ」と感じた瞬間に、今判断しているものが人物像への適合度なのか、それとも確率なのかを分けて考えると、連言錯誤に気づきやすくなるでしょう。

ベン図で見ると何が間違っているかわかる

リンダ問題を文章のまま考えると、人物描写の強さに引かれやすくなります。

そこで、人物像をいったん脇へ置き、ベン図として考えてみましょう。

大きな円Aを「銀行の窓口係である人」とします。

別の円Bを「フェミニスト運動に積極的な人」としましょう。

二つの円が重なる部分が、

A \cap B

です。

つまり、「銀行の窓口係であり、フェミニスト運動にも積極的な人」が入ります。

この重なり部分が、Aという円全体より大きくなることはありません。

AかつBに入っている人は、必ずAにも入っているからです。

物語として読むと、「社会問題へ関心があるなら、フェミニスト運動にも積極的そうだ」と感じます。

ところが、集合として見ると、「Aの中から、さらにBにも当てはまる人を選んでいるだけだ」と分かります。

連言錯誤に気づくには、物語から集合へ視点を切り替えることが役立ちます。

銀行の窓口係である人 フェミニスト運動に積極的な人 A B A \cap B 銀行の窓口係であり、 フェミニスト運動にも積極的な人
この重なり部分が、Aという円全体より大きくなることはありません。

条件付き確率から確認する

P(A)>0のとき、条件付き確率を使えば、

P(A \cap B)=P(A)\times P(B|A)

と表せます。

P(B|A)は0から1までの値なので、

P(A)\times P(B|A)\leq P(A)

です。

もしP(B|A)=1なら、

P(A \cap B)=P(A)

となります。

そのため、新しい条件を追加しても確率は高くならず、同じか低くなります。

数式が苦手なら、「AかつBはAの中をさらに絞ったもの」と考えるだけでも十分です。

日常で起こる連言錯誤の例

連言錯誤は、心理学の問題だけに現れるものではありません。

仕事の予測やニュースの理解、人物評価など、具体的なストーリーを伴う判断では、似た構造が現れる可能性があります。

仕事の予測

ある会社で、新製品の来期売上について会議をしているとします。

Aは「来期、新製品の売上目標を達成する」です。

AかつBは「SNS施策が若年層へ浸透し、その結果として新製品の売上目標を達成する」としましょう。

後者には、結果へ至る道筋があります。

SNS施策を行い、若年層の認知が上がり、購入者が増え、売上目標へ到達する。その流れを聞けば、「なるほど、そういう計画なのか」と安心する人もいるでしょう。

SNS施策を行い 若年層の認知が上がり 購入者が増え 売上目標へ到達する。
SNS施策を行い、若年層の認知が上がり、購入者が増え、売上目標へ到達する。

しかし、確率の包含関係は別です。

売上目標を達成する理由はSNS施策だけではありません。

既存チャネルが伸びる場合もあれば、口コミが広がる場合、競合商品の供給不足などが追い風になる場合もあります。

Aはそれらを含みますが、AかつBは「SNS施策が若年層へ浸透する」という追加条件まで満たさなければ成立しません。

計画が具体的であることと、そのシナリオ全体の確率が高いことは分けて考える必要があります。

ニュースの説明

Aを「ある地域で大規模な洪水が発生する」とします。

AかつBを「大地震が発生し、それに伴う津波によって大規模な洪水が発生する」としましょう。

後者は、頭の中で場面を描きやすい説明です。

地震が起こり、津波が押し寄せ、洪水被害が発生する。原因と結果がつながっているため、現実味を感じるかもしれません。

しかし、洪水には豪雨や河川氾濫、堤防の損傷など、別の原因もあります。

そのため、「地震と津波によって洪水が発生する」は、「洪水が発生する」という広い事象の一部です。

具体的な原因を示されると想像しやすくなるという可能性がありますが、想像しやすさ自体が確率ではありません。

人物判断

ある会社で、新規プロジェクトのリーダー候補について考えてみます。

木村さんは温和で、会議では人の話をよく聞き、対立が起きても落ち着いて調整する人だとします。

Aは「木村さんが新規プロジェクトでリーダーシップを発揮する」です。

AかつBは「木村さんが傾聴力でメンバーの不満を解消しながら、新規プロジェクトでリーダーシップを発揮する」としましょう。

後者は、とても木村さんらしく感じられます。

それでも、リーダーシップを発揮する方法は傾聴だけではありません。

専門知識によって判断を前へ進める場合や、明確な役割分担でチームを動かす場合もあります。

人物像に合う未来ほど信じたくなることはありますが、「その人らしい未来」と「より広い確率上の事象」は区別したほうがよいでしょう。

もっともらしい説明に引かれる理由

ここまでの例では、条件が追加された説明ほど数学的には限定された事象になっている一方、心理的には「話がよくできている」と感じられる場合があります。

その背景には、代表性だけでなく、複数の要因が関係する可能性があります。

人物像との一致

リンダ問題では、社会的公正への関心や反核デモへの参加という情報と、「フェミニスト運動に積極的」という条件がよく調和します。

そのため、「リンダらしさ」という点ではAかつBのほうが高く感じられます。

ただし、「リンダらしい」と「数学的確率が高い」は別の評価です。

因果関係の分かりやすさ

「売上が増える」とだけ聞くより、「SNS施策が成功し、購入者が増え、売上が伸びる」と説明されたほうが、出来事の流れを理解しやすくなります。

そのとき、「分かった」という感覚が生まれるでしょう。

とはいえ、この理解しやすさを、そのまま発生確率の高さとみなすことはできません。

原因と結果を結びつけた説明は情報を整理するうえで役立ちますが、それは確率とは別の性質です。

具体性による現実味

人物や原因、行動が具体的に示されると、抽象的な説明より場面を思い浮かべやすくなります。

そこで「実際に起こりそうだ」と感じるという可能性があります。

しかし、細かな条件が追加されるほど、それらの条件まで成立しなければ説明全体は真になりません。

具体性は理解を助けますが、それ自体が確率を高めるわけではありません。

複数の要素が同じ重さで判断されるとは限らない

仮屋園昭彦による1991年の研究では、複合事象を構成する代表的な要素と非代表的な要素が、確率判断へ同じように寄与するとは限らないことが検討されています。

つまり、人が複数の条件を判断するとき、すべてを均等に評価しているとは限りません。

人物像によく一致する特徴が強く意識され、その印象が複合事象全体の判断へ影響するという可能性があります。

課題理解だけでは整理できない場合もある

二宮・藤木の2018年研究では、リンダ問題における課題理解と、代表性ヒューリスティックを用いた判断との関係が検討されています。

研究結果からは、連言錯誤を示した人が、最初から単純に質問文を理解できていなかったとだけ考えるのは難しいことが示唆されています。

意味を理解していても、実際に答えを選ぶ判断過程で代表性が影響する可能性があるということです。

「理屈は分かるのに、なぜかこちらがありそうに感じる」

連言錯誤の興味深さは、その感覚と形式的な確率とのずれにあります。

連言錯誤を見抜く3つの方法

連言錯誤を避けるために、高度な計算を毎回する必要はありません。

「Aだけに戻す」「AかつBへ分解する」「人数へ置き換える」という三つの操作を覚えておくと、判断しやすくなります。

Aだけに戻す AかつBへ分解する 人数へ置き換える
「Aだけに戻す」「AかつBへ分解する」「人数へ置き換える」という三つの操作を覚えておくと、判断しやすくなります。

Aだけに戻す

まず、理由や手段などの追加条件を外します。

「SNS施策が成功して売上目標を達成する」なら、「売上目標を達成する」へ戻しましょう。

「生成AIを活用して業務工数を50%削減する」なら、「業務工数を50%削減する」をAとして考えます。

そこで、「追加条件まで満たすAかつBが、Aより広くなるだろうか」と確認します。

答えは広くなりません。

AかつBへ分解する

一続きの説明を、別々の条件へ分けます。

たとえば、

「新しい半導体の受注が急増し、営業利益が増える」

なら、

A「営業利益が増える」

B「新しい半導体の受注が急増する」

と分けられます。

文章のままだと一つの自然な未来像に見えますが、確率では二つの条件を同時に満たす事象です。

「かつ」を目に見える形へ戻すだけでも、包含関係を確認しやすくなります。

100人に置き換える

確率が抽象的に感じられたら、人数へ変換します。

銀行の窓口係が10人いるとしましょう。

その10人のうち、フェミニスト運動にも積極的な人は何人でしょうか。

2人でも5人でも構いません。

全員が該当すれば10人ですが、10人を超えることはありません。

つまり、「Aに当てはまる人の中から、さらにBにも当てはまる人を選んでいる」と考えればよいのです。

直感を消す必要はありません。

「こちらがありそうだ」と感じたあとで、この三つのどれかを使って確率の構造を確認すれば、感覚と形式的判断を分けやすくなります。

これは連言錯誤?ミニ問題で確認

ここでは説明を覚えたかではなく、AとAかつBの包含関係を自分で見分けられるか確認してみましょう。

第1問 医療診断

ある患者が強い腹痛と発熱を訴え、救急外来を受診したとします。

Aは「患者は急性虫垂炎を発症している」です。

AかつBは「患者は急性虫垂炎を発症しており、さらに穿孔を伴っている」とします。

包含関係だけを比べれば、Aの確率がAかつB以上です。

穿孔を伴う急性虫垂炎は、急性虫垂炎という広い集合の一部だからです。

ここでは実際の診断結果を予測しているのではなく、「穿孔」という条件を追加したときに集合がどう変わるかを見ています。

第2問 気象と交通

Aは「明日の午前中に列車の遅延または運休が発生する」です。

AかつBは「沿線の倒木によって架線が損傷し、明日の午前中に列車の遅延または運休が発生する」としましょう。

台風が接近していれば、倒木の場面が強く浮かぶかもしれません。

しかし、遅延や運休は強風による速度規制、飛来物、設備故障などでも発生します。

したがって、倒木という原因まで限定したAかつBは、Aの一部です。

第3問 企業業績

ある会社が新しい半導体製品の量産開始を発表したとします。

Aは「来年度、この会社の営業利益が前年比で増加する」です。

AかつBは「新しい半導体製品の受注が急増し、来年度の営業利益が前年比で増加する」とします。

新製品への期待が高いと、後者が自然な未来に感じられるでしょう。

しかし、営業利益は既存事業の成長やコスト削減などでも増える可能性があります。

したがって、この二つの文章の包含関係だけを比べるなら、AかつBがAより高確率になることはありません。

三問とも「AかつBはAの内側にある」と説明できれば、連言規則の基本構造を見分けられています。

連言錯誤と代表性ヒューリスティックの違い

二つの用語は関連していますが、同じ意味ではありません。

連言錯誤は、確率判断に現れた結果です。

本来、

P(A \cap B)\leq P(A)

であるにもかかわらず、AかつBのほうをAより高確率だと判断すれば、連言錯誤になります。

一方、代表性ヒューリスティックは、判断に使う手掛かりや方法です。

「その人物が典型像にどれほど似ているか」「説明が人物像とどれほど調和するか」といった代表性を使います。

リンダ問題なら、「社会問題へ関心が強い人物」と「フェミニスト運動に積極的」という情報がよく調和します。

そこで代表性を強く感じ、そのまま「銀行の窓口係かつフェミニスト運動に積極的」のほうを高確率だと評価すれば、連言錯誤になります。

整理すると、

代表性ヒューリスティックは判断の手掛かり

連言錯誤は確率判断に表れた結果

です。

代表性ヒューリスティック 連言錯誤
判断の手掛かり 確率判断に表れた結果

ただし、連言錯誤をすべて代表性だけで説明できるとは限らず、課題理解や言葉の解釈など、別の要因についても研究されています。

深掘り リンダ問題には議論もある

ここまでが、連言錯誤を理解して日常で見抜くための基本です。

ここからは、リンダ問題そのものをもう一段深く知りたい人向けに、研究上の議論を見ていきます。

数学的な連言規則は変わりません。

AかつBがAの部分集合なら、

P(A \cap B)\leq P(A)

です。

一方で、「実験参加者が質問を何についての問いだと理解していたのか」については議論があります。

probabilityという言葉の解釈

HertwigとGigerenzerは1999年の研究で、リンダ問題に使われる「probability」という語の解釈に注目しました。

日常会話で「どちらの可能性が高いか」と尋ねられたとき、人は必ずしも数学的な確率だけを意味すると受け取るとは限りません。

「どちらの説明が証拠によく合っているか」

「どちらがもっともらしいか」

という意味で受け取る可能性もあります。

この見方では、参加者は集合の大きさではなく、人物描写との適合度を答えていたという可能性があります。

これは、数学的な連言規則への反論ではありません。

「参加者が本当に数学的確率について答えていたのか」という、課題解釈についての議論です。

会話では情報に意味があると考えやすい

日常会話では、相手が詳しい情報をわざわざ伝えてきたら、「その情報には質問と関係する意味があるはずだ」と考えます。

リンダについて、哲学専攻、社会的公正への関心、反核デモへの参加まで詳しく説明されたあとに「銀行の窓口係であるか」と尋ねられたとします。

すると聞き手は、「これだけ社会運動について説明されたのだから、何か意味があるのだろう」と考えるかもしれません。

その結果、「銀行の窓口係」という選択肢を、単純なAではなく、「フェミニスト運動には積極的ではない銀行の窓口係」に近い意味で解釈する可能性があります。

もしそうなら、実験者が想定した比較と、回答者が頭の中で行った比較は一致しません。

この論点は、リンダ問題を単純な「人間の非合理性」の証拠としてだけ扱わないために重要です。

課題理解だけでは説明しきれない可能性もある

一方で、連言錯誤をすべて言葉の誤解として説明できるとも限りません。

二宮・藤木の2018年研究では、リンダ問題における課題理解と、代表性ヒューリスティックを用いた判断との関係が検討されています。

そこでは、単純に問題文を誤解したかどうかだけでは整理できず、判断過程におけるヒューリスティックとの関係も考える必要があることが示唆されています。

したがって、

「人は確率を理解できないから間違える」

と単純化するのも、

「言葉を誤解しただけなので連言錯誤ではない」

と片づけるのも慎重であるべきでしょう。

人は文脈を読み、話し手の意図を推測し、人物像との一致も使って判断します。

その柔軟な推論が日常生活では役立つ一方、形式的な確率規則を求められる場面では、別の結論につながる可能性があります。

連言錯誤は、人間が単に「確率計算を間違える」という話だけではなく、直感的な理解と形式的な確率判断がどのように交わるのかを見るテーマでもあるのです。

日常でどう生かすか

連言錯誤を学ぶ目的は、自分の直感をすべて疑うことではありません。

むしろ、「強く納得したときほど、何に納得したのかを一度確認する」ために使えます。

ある計画を聞いて「具体的だから信頼できそうだ」と思ったなら、計画の具体性を評価しているのか、それとも成功確率まで高いと判断しているのかを分けます。

ニュースを読んで「原因まで説明されていて納得した」と感じたなら、その原因が確認された事実なのか、一つの説明として提示されているのかを見ます。

人物について「あの人ならきっとこうする」と感じたときには、その人らしさと実際の確率を同じものとして扱っていないか確認してみましょう。

直感は、日常生活の判断を速くしてくれます。

一方で、AとAかつBの比較では、直感だけではなく集合の大きさへ戻る必要がある場面があります。

「ありそうだ」と感じたあとに、「Aだけならどうか」「条件を一つ追加していないか」と確認する。

この小さな切り替えが、連言錯誤を学んだ知識を実際の判断へつなげてくれます。

連言錯誤に関するよくある質問

連言錯誤を簡単に言うと何ですか?

「A」よりも、そこへ条件を追加した「AかつB」のほうを高確率だと判断してしまう現象です。

数学的には、

P(A \cap B)\leq P(A)

なので、AかつBがAより高確率になることはありません。

リンダ問題ではなぜ間違えやすいのですか?

リンダの人物描写と「フェミニスト運動に積極的」という条件がよく調和するため、「銀行の窓口係かつフェミニスト運動に積極的」という説明のほうが人物像として自然に感じられることが一因と考えられています。

そこで、人物像への適合度を確率判断へ持ち込む可能性があります。

ただし、問題文や「probability」という言葉の解釈など、課題理解に関する議論もあります。

AかつBの確率はなぜAより高くならないのですか?

AかつBが成立しているなら、必ずAも成立しているからです。

Aに当てはまる人の中から、さらにBにも当てはまる人を選んでいると考えると理解しやすいでしょう。

部分集合が元の集合より大きくなることはありません。

条件が増えるほど確率は必ず下がりますか?

必ず下がるわけではありません。

Aに当てはまるすべての場合でBも成立するなら、

P(A \cap B)=P(A)

です。

そのため、正確には「条件を追加しても確率は上がらず、同じか低くなる」となります。

連言錯誤と代表性ヒューリスティックは同じですか?

同じではありません。

代表性ヒューリスティックは、対象が典型像にどれほど似ているかを手掛かりにする判断方法です。

連言錯誤は、そのような判断などを背景として、AかつBをAより高確率だと判断してしまう現象を指します。

連言錯誤を防ぐ方法はありますか?

まず追加条件を外してAだけに戻し、次にAとBへ分解します。

それでも分かりにくければ、100人の集団へ置き換え、「Aに当てはまる人のうち、Bにも当てはまるのは何人か」と考えると、包含関係が見えやすくなります。

まとめ

連言錯誤で最も大切なのは、「もっともらしいこと」と「確率が高いこと」を分けることです。

人物像にぴたりと合う説明や、原因から結果まできれいにつながったストーリーは、「確かにそうなりそうだ」という感覚を生みます。

その感覚は、出来事を理解するうえで役立つことがあります。

しかし、AへBという条件を追加したAかつBは、どれほど説得力のある説明でもAの範囲を超えません。

P(A \cap B)\leq P(A)

だからです。

A AかつB P(A \cap B)\leq P(A)
AへBという条件を追加したAかつBは、どれほど説得力のある説明でもAの範囲を超えません。

次に「こちらのほうが具体的だから、より起こりそうだ」と感じたら、物語を否定する必要はありません。

一度だけAへ戻り、AかつBへ分解し、必要なら人数に置き換えてみてください。

「その人らしい」「話として自然だ」という直感を持ちながらも、確率については別の視点から確認できるようになる。

そこまでできれば、連言錯誤は単なる心理学用語ではなく、自分の判断を見直すための実用的な知識になります。

参考資料

Tversky, A., & Kahneman, D.(1983)“Extensional versus intuitive reasoning: The conjunction fallacy in probability judgment.” Psychological Review, 90(4), 293–315.

CiNii Research 書誌情報

二宮由樹・藤木大介(2018)「連言錯誤課題の理解過程と代表性ヒューリスティックを用いた判断との関係」『認知科学』25巻4号 421–434頁。

J-STAGE 個別論文ページ

仮屋園昭彦(1991)「複合事象の確率判断課題における合接の誤謬(Conjunction Fallacy)現象に関する研究」『基礎心理学研究』10巻1号 57–64頁。

J-STAGE 全文PDF

Hertwig, R., & Gigerenzer, G.(1999)“The ‘conjunction fallacy’ revisited: How intelligent inferences look like reasoning errors.” Journal of Behavioral Decision Making, 12(4), 275–305.

Max Planck Institute 公開資料

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